ファッションと自己変革

昨晩コンビニでキムタクの顔写真がパッケージに採用されているスナック菓子を見かけた。

これはぼくに何を伝えようとしているのだろうか。

もしぼくの体にキムタクの顔が付いたとしたら、きっとおかしいに違いない。

即坊主にしてしまうのだろうなあ。

逆にキムタクの顔が急にぼくの顔になったとしたら、ジャニーズ事務所は困るだろうなあ。

そしてキムタクは心の整理をどう付けるのだろうか。

そんなバカバカしいことを考えながら買い物を済ませ、三人で寺へ向かった。


ちなみにぼくは鳥獣戯画に出てくる動物たちのような自己イメージを持っているし

またそうなりたいと願っている。

滑稽で憎めない、うすい自我と柔らかい感情が広く周囲を包みこみ

幸せな空間を形成する

そんなイメージ。



お寺は落ち着くなあ。



超久々にファッション誌というものを見た。

ページをめくりながら自分のファッションの変遷を振り返ってみた。

小学生の頃は服をほとんど意識したことがなかったと思う。

中学生くらいから少し気になり始めて

でも

自分で決められない性格だったから

「どれが一番売れていますか」

そんな質問をして店員さんに

「自分で決めな」

と言われたことがあったな。

当時は今と比較して感性や想像力が全く育まれていなかった。

それ以前に、全身が力んでいたな。


大学進学と同時に京都市内に移り住み、環境の変化に翻弄された。

高い服をたくさん買っていたなあ。

当時のボクは、本当に自分に自信がなかった。

28歳の頃にはこんなこと世界でもっともオシャレな状態――所有せずしてオシャレをする - 岡安賢治随想録(okayasukenji’s essay)
やこんなこと去年の今ごろ - 岡安賢治随想録(okayasukenji’s essay)を書いているなあ。

あれから三年が経ち

今はワークマンやバザールタウンで買ったもの、それに、両親からもらったお下がりを主に着ている。

一昨日、養護学校の先生がデザインしたカララとナチュラというキャラクターがプリントされたウインドブレーカーを母からもらった。

素材自体のセンスが特別いいことはないのだけれど

キャラクターとコンセプトが秀逸だったから着ることにした。

一緒に以下のメッセージの書かれた紙をもらった。

カララとナチュラ

カララはかいじゅうです

かたーい殻につつまれています

頭にはジコチューという

大きな角がはえています

いつも 人を コワがらせたり

嫌なことを言ったり…

でも ホントは

臆病で さびしがりや

殻を破ろう 勇気を出して!

おそるおそる 大丈夫 大丈夫…

素直でやさしい

ナチュラが顔を出しました

2010秋

いのうえさとる

*1

個人史上におけるファッションの変遷というものは、自己変革の変遷なのだなあ。

自分も景観の一部であるから、自分を鑑賞する他者のためにオシャレをしたい。

今はこう思っている。

思いと愛情の詰まったもの

ご縁のあったものを素直に身につけたい。

けれども、たまには素材やデザインの洗練されたクオリティの高いものも着てみたい。

いずれ自分のありったけを書で表現した服を作りたいな。

*1:勝手に引用してごめんなさい。

なかには罠にかかってしまうイノシシもいるよ

たまにはツイッターの百四十文字という制限に縛られずに

のびのびと文章を書いてみたくなったから

ブログを書くことにしたよ

なんだか最近 世の中すべてのことがわらけてくるよ

ああなってこうなって こうなってああなって

いろんな途方もない連鎖の結果

泣いたり 怒ったり 笑ったり 失敗したり

恥ずかしがったり 得意げになったり 

面白い人がたくさんいるよ

殴られた人もいるよ

そしてそれを見て笑っている自分

キーボードを叩いている自分がいるよ

連鎖というものは

とても滑稽だなあ

くるくると回っている地球に

太陽からエネルギーが送られてきて

いろんなことが起きているよ


そんなことを想っていたら

チャールズチャップリンという人が気になってきたよ

今からの時代に輝きたい人はこれをするとええと思うで

ええ天気やなあ。 

こんなんは見たことがないわ。

僕は。

びっくりしたなあ。 

今年一番びっくりしたなあ。

おそらく。



あの、きのうの日記で僕が書いとったことなんやけど、下地勇さんの音楽のことで、なんやったかいな…

今振り返ると?

今後の地方のとるべき姿を暗示しているとても素敵なライブだったのだと思う?

みたいなこと書いとったやんか。


あれもうちょっと詳しくゆうとくと、


下地勇さんって、沖縄の宮古島出身の人なんやけど、あの人みたいにその、故郷の文化とか方言を愛しとるアーティストが、いろんなジャンルで出てくると面白いと思うんや。

ようあるような、下手に英語をはさんで上滑りな歌歌うぐらいやったら、自分のふるさとの方言で魂込めて歌ったほうがよっぽどかっこいいと僕は思うし、これからはたぶんそういう人が輝くと思うんや。

で、戦後一貫してそういう標準語とか英語とかの音楽がマジョリティやったと思うんやけど、まあ、音楽だけやなくていろんな分野でそういう標準語的なもんが主流やったと思うんやけど、今ゆうた方言とか故郷の文化を大事にして、しかも一流の表現をするっていう方向はまず間違いなく時代を捉えとると思うし、あとは、それをどう形にしていくか?もしくは、そのための仕組みとか土台をどう作っていくか?それが重要で、そこで、てるてるぼうずFamiliahttp://teruterubouzufamilia.com/の出番ってことになるわな。



ちゃうか。



ちゃうんか。




そやけど、舞鶴と関係ない地域の人が舞鶴の方言とか文化を愛しまくって舞鶴弁で曲作るとか普通せんやん。だから、それぞれが、地元とか自分に寄り添って育んでいく、作っていくってゆうスタンスってそれだけでもうオリジナリティーになるし、そこがニッチやと思うし。そうなったら旅をしたり、交流したりするんもより面白くなるし。



のはずなんやけど、実際には、外ばっか憧れて自分の良さに気づかんってゆうパターンって、んんと、明治維新以来、っていうか、もう漢字を輸入し始めて真名仮名とかゆうとった時代から続いてきとるんやんか。

日本の場合。

で、そうゆうんはもうそろそろ終わりにしたほうがいいし、逆に、そうじゃないと未来はない?

で、今ゆったことって、日本とか国レベルだけの話じゃなくて、個人レベルでも他人にばっかり憧れて自分の良さに気づかんってことよくあって、そういうんってやっぱり魅力的じゃないしダサい?

たとえば、BEGINとか下地勇さんが方言で歌うんをダサいってゆう人を僕は見たことないけど、舞鶴なんかでは、舞鶴弁に誇りを持っとる人ってそんなに見たことない気がするし、実際舞鶴をダサいとおもとる人が同級生とかでは結構っていうか相当おったし今もおそらく多いし。

で、結局これも他に憧れて自分の良さに気づけてないってことやし、そういう文化が根付いてないってことやし、そういう環境で育ってきたからそうなったってことやと思うんや。自分とか自分の故郷に自信がないってことやわな。でも、沖縄も舞鶴も本質的には「同じ」やと僕は思っとるし、そうゆう認識に至ってやっとスタートラインに立てたってことやと思うんや。で、それは日本に限ったことじゃなくて、ヴェネツィアとかジェノバ舞鶴も同じってことやし。



みたいな文章を、いつもみたいに書いとったら、まずはおまえが文章表現でそれをせんかいって思えてきて、舞鶴の、てゆうか、自分の口語体?で書きかえてみたんやけど、どやろ、…まだやなこれは。

まあ、試行錯誤してみるわ。



そやけど、舞鶴ってあれやな、マイルズとかにしたほうがカッコいい気がするな。

MILES

MILES CITY

みたいな。


て、おまえが一番よそに憧れとるがな。



てゆうか、もう、誰にしゃべってる体なんかようわからんようなってきたし。

そうゆうんも含めて今後の課題やな。

もう、文化とかバカバカしいしどうでもええけど。

記憶を検索してみたところ印象に残っている曲が2件ヒットしました

最近、好きな曲やアーティスト、昔聴いた曲について質問されることが何度かあったのだけれど、とっさに出てこなくてなんだかモヤモヤが心の下層を流れ続けていた。

そこで今日、記憶を検索してみたところ2件のアーティストというかシチュエーションがヒットしたので、紹介しておくことにした。

1件目は、2007年11月に京都市磔磔で行われた下地勇さんのライブ。

当時、思い出として残すために数十秒録音したファイル*1を久々に聞いてみた。どうやら「うう゛ゃーますむぬ」という曲のようである。

http://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A9-tin-%E4%B8%8B%E5%9C%B0%E5%8B%87/dp/B0000A4HZ5


この後、「我達が生まり島」とか「おばぁ」等の弾き語りがあったのだけれど、おばぁとか長生きという単語くらいしか聞き取れないにも関わらず、下地さんの優しさが当時のぼくの弱っていた心に染みわたってきて涙が止まらなくなってしまい、必死にうつむいていたのを覚えている。

沖縄県宮古島で生まれ育った彼は、少年時代、干潮になると透き通ったブルーの海の真ん中に現れる秘密の砂の島に寝転がって静寂の中、全身で海や空を感じていたとか。

今振り返ると、今後の地方のとるべき姿を暗示しているとても素敵なライブだったのだと思う。



2件目はこれ↓。

http://d.hatena.ne.jp/okayasukenji/20071016/1233237532

京都の柳馬場通を南下、蛸薬師通りを横切り、六角通りに辿り着くまでにあるコープイン京都という施設で行われていたアマチュアバンドのフォークコンサート。団塊の世代と思われるかたがたによる、ジョーンバエズやPP&Mのコピーバンド

アメリカではジョーンバエズやPP&Mが戦争で疲れたアメリカ人の心を癒した。

日本でも彼らのコピーバンドが多く現れたという。戦争の、敗戦の深い傷を負った世代、あるいは傷を引き継いだ世代が懸命に傷を癒し続け、今に至っているのである。

当時撮影したフォークコンサートの動画を改めて鑑賞してみると、御世辞にも上手いとは言えないのだけれど、とにかく深みが違うのだ。周りにいるオジサマ達が自然にハモりはじめた時には、なんだか音楽と共に生きてきた先輩方の背負ってきたもの、戦ってきたもの、向かい合ってきたものが伝わってきた気がして号泣してしまい、とても恥ずかしかった。

日本の歌手では、たとえばさだまさしが敗戦の傷を大いに癒したと思っている。

そして今の日本は既に新たな段階に移っている。

*1:下地さん、関係者の皆様ごめんなさい。

人間を押す

10代のある時をきっかけに、人前で話すと鼓動が尋常じゃないほど速くなり、呼吸が乱れ、指先は氷のごとく冷たくなり、体や声が震えだしたりパニックになったりするようになった。正確には、人前で話すと決まった瞬間から、それらの症状の一部が発症するようになった。

それ以来、そういうシチュエーションを避けるようになった。

今振り返ると、その結果生じた学習機会の喪失は甚大であったし、ずいぶん足踏みや回り道をすることにもなった。

ある時、心の支えを得て以来、向学心が忌避行動をわずかに上回るようになった。

その結果、たくさんの恥をかきながら、時には後退しつつも、一歩ずつ前進できるようになった。


支えを失ったとき、体が半分になったように感じられた。けっして比喩ではなく、明確なる身体感覚としてそれは感じられた。

同時にいろいろなことが起きた。

ソーシャルスキルの低さも相まって、自分の意志では対処しがたい事態に陥り、遂に一度死んだ。

カウンセラーや両親、友人の助けを得つつ、人格を練り直した。

意志というものの万能性を信じることを止めた。

智慧を駆使して先手を打ち、自身の行動を意志の範疇に収めることができてはじめて大人なのだと思うに至った。


たとえば、僕は今この瞬間、浮気をしたくないと思っている。

性欲に駆られて浮気の欲求が生じることはあると思うけれども、同時に、思いやりの心がそれを阻む。

妻や子、あるいは相手の周囲にいる人たちの心に思いを馳せると限りなく胸が痛む。

長期的な人生設計やリスク評価を加味した理性的な判断により、回避したいという思いも、もちろんある。

「今」の僕はそう思う。

ところが、状況次第では浮気の衝動と回避の思いのバランスが逆転しうる。

それは時として意志の力では如何ともし難い。

この例で言えば、いかなる状況に陥れば逆転が起こるのかを熟知し、そうならないよう先手を打って自身および周囲の環境をプロデュースできる人を大人というのだと、僕は思う。



話を戻す。



長期の休養期間を経て、なんとか日常生活が送れるようになった。

命の重さに相当する教訓を携え、時には停滞し、あるいは後退しつつも、着実に前進し、最近ようやく落ち着いて話せるようになった。

そして遂に、どちらかというと話すのが楽しみだと思えるところまできた。

社会的にはほんの些細なことなのだけれど、個人史的には大いなる達成である。

トラウマやコンプレックスから逃げ続けずに、じっくりと、時には足踏みをしたり、一休みをしたり、あるいは後退をすることがあってもよいから、必ず克服するという強い意志を持ち続けることのできる人こそが大器晩成タイプなのだと最近思う。

ぼくが大器かどうかはどうでもいいけれど、晩成である、つまり、今後ののびしろが大いにあるとは思っている。

小さな器でもよいから、美しいものに仕上げたい。

克服にあたっては、夏目漱石芥川龍之介に送った書簡の文面がおおいに励みになった。

あせつては不可せん。頭を惡くしては不可せん。根氣づくでお出でなさい。世の中は根氣の前に頭を下げる事を知つてゐますが、火花の前には一瞬の記憶しか與へて呉れません。うんうん死ぬ迄押すのです。それ丈です。决して相手を拵らへてそれを押しちや不可せん。相手はいくらでも後から後からと出て來ます。さうして吾々を惱ませます。牛は超然として押して行くのです。何を押すかと聞くなら申します。人間を押すのです。文士を押すのではありません。
 是から湯に入ります。
     八月二十四日                 夏目金之助
   芥川 龍之介 樣

http://www.geocities.jp/sybrma/202sousekinotegami.htmlより引用

着実に人間を押していきたい。

漱石書簡集 (岩波文庫)

漱石書簡集 (岩波文庫)

一人一学問・一人一道・一人一宗教・農のススメ

私の思想や生き方の指針を確認するために、これらの一部を整理しておきました*1

岡安賢治のやりたいこと

故郷*2を根本的な部分から活性化させる。つまり、農を中心に据え、「ひとづくり(知性、感性、身体、郷土愛等)」、「人と人との関係づくり(絆づくり、智恵・文化の継承)」、「人と自然との関係づくり(農業等を通した景観づくり、野菜づくり)」に取り組むことにより、郷土文化のアップデイトを図り、一過性の経済的活性化ではなく、長期的な故郷の繁栄を目指す*3

一人一学問のススメ

「自身および自身のルーツを掘り下げることを学びの根本に据える」

このスタンスは、以下に述べた理由により、非常に重要だと思っています。

私は勝手に「一人一学問」を推奨しています。

各人が異なる身体構造と生い立ちを持っている無二の存在なのですから、当然、人の数だけ掘り下げるべき対象が存在するわけですし、各人が自身とそのルーツについてのエキスパートになれるわけです。

徹底的にローカルに向き合うことにより、独自性が獲得され、より魅力的なひと・まち・文化の形成が期待されます。

また、ローカルに対する注目は、外部への興味を喚起するとともに、外部理解の際の拠点となりえます。つまり、普遍性の獲得に寄与します。その結果、平和的共存のために不可欠である他者や異文化に対する深い理解と寛容の精神の獲得が期待されます。

上述のローカルに寄り添う「一人一学問」を通した独自性と普遍性の獲得は、個々の生存はもちろんのこと、文化の維持・発展、種の存続にも資するでしょう。

以上の理由により、私は自己教育に励むと共に、故郷における教育および学ぶ場や仕組みの提供にぜひ携わりたいと思っています。

具体的には、農、書道*4、私塾を通して知性・感性・身体をバランスよく育むことを考えています。とりわけ、農は自分の生まれ育った環境を最もよく知る手段の一つであり、例えば、初等・中等教育のほとんどの内容は農から説き起こせると考えています。さらに、農を含む自然の中での遊びにより、知的好奇心に駆動され、観察する、考える、調べる等、生き抜くために不可欠な学びの基本となる態度の習得が期待されます。

ところで、人道的側面はもとより、良質の文化維持・発展、治安維持のためにも、学びの機会および学びの楽しさを知る機会は、貧富等の境遇によらず、等しく得られることが望ましいと私は考えます。

そこで、この信念をシステムに反映させる方法の一つとして、所得の低い家庭等で学びたい意志をもった子ども達や成績の芳しくない子ども達には特待生制度として授業料を減額、または免除したいと考えております。状況次第ではボランティアでもよいでしょう。また、故郷の人々が少ない経済的負担で気軽に参加し、主体的に野菜・景観・自身を育むことができる「志民農園」の開設を検討しています。

一人一道のススメ

「一人一道」を推奨しています。

私の場合、書という「自画像」と向かい合い続け、心技体を育み続けたいと思っています。

書を通して、身体各部や精神の微妙な力みや異変、呼吸の乱れに対して敏感になり、早期の修正ができるようになりますし、型ができてくるにしたがって立ち振る舞いに品が出てきます。さらに、器用さや技術の獲得はもちろんのこと、書の文化や日本の文化についての造詣が深くなり、自国を相対化する際の基盤を獲得できますし、試行錯誤をしつつ上達していくというあらゆるものごとの習熟に共通する訓練をすることも可能です。もちろん、他にも様々な効用があります*5

数年後、書道教室を開設し、各自の道の手助けをするとともに世代間や異文化間の交流を促進させる予定です。具体的には、WWOOF等で来てくれた外国人のかたがたや、舞鶴在住の外国人のかたがたを対象に、書道教室(サークル)への参加希望者を募り、書芸術に触れてもらうとともに、子どもたちを始めとした地元の人々との交流を深めることを考えています。

一人一宗教のススメ

生タマネギ、生ねぎ、カレー、ハンバーグ、多くの外食やジャンクフード、スナック菓子、コーヒー、焼肉、ソーセージ、酒、たばこ。

これらの食物は、以前は平気だったものが多いのですが、最近は食後、身体発の不快信号が脳に伝達され、イライラしたり、粗雑な精神状態に陥ったりしていまいます。今でも味自体は大好きですし、食べることもできるのですが、心の平安を重視したいので極力避けています。

これは食に関する「個人的戒律」と言えるでしょう。

「個々が自身の身体の特徴や状態に応じた戒律や思想(もちろん身体の変化により変わる可能性はあるでしょう)を持って賢く生きていく」

この生き方が今後の主流になっていくのだと予想しています(一人一宗教)*6

多くの人々が、主体的に検討することなく、同じ諸戒律の下で生きている現状は、生き方としては雑すぎるのではないかと思っています*7

そんなわけで、各宗教の戒律の起源に興味を持っています。そこには人間の身体にとって普遍的なものもあるでしょうし、たまたま個人的戒律が固定されてしまったものも含まれるのでしょう。宗教から学びアップデートしたいのです。
 
ちなみに、お酒に関しては、たとえば収穫祭などの心から祝うべきイベントのときのみ、年に数回少したしなむのはありだと思っています。そういうお酒の飲み方こそが本当の贅沢であり、文化的な生活とはつまりそういうことだと思っています。

農のススメ

露地栽培は生きるにあたってのペースメーカーになりうる=環境と調和できる

以下に詳述しますが、個人にとって、社会にとって、生きるうえでのメリットがありすぎると思われるため、

「自分が愛情を注げる程度の面積の田んぼと畑*8を極めて公共性の高い家事の一部としてやる」

ことを推奨しております。

生きるということは環境と調和するということであり、時間的、空間的により広い範囲の環境に調和することは種の存続の観点からも極めて重要でしょう。

露地で農作業をしながら生きるということは、太陽を中心に据え、地球の自転および公転と共に生きるということであり、これは「より広い範囲で環境に適応する」ということの一例となります*9

農を通して人間をつくる(自身を露地で栽培する)

感性を開いて環境に身を委ね、生き物や植物を時に愛で、時に観察し、身体をうまく工夫して使う。このように知性と感性と身体をバランスよく使いながら生きる生活こそが人間的な生活だと思うのです。さらには、自然相手がゆえの臨機応変な計画性や主体性、謙虚さが育まれますし、上述の一人一学問ともリンクしています。野菜の生育過程を見つめ続けることにより、人間を相対化することができたり、慈悲心が育まれるというメリットもあるでしょう。

農を通して野菜をつくる

これは定義上作りますね。

食糧は今の人間の身体構造を前提に議論する限り生存に必要不可欠なものですから、仮に食糧自給率が低い場合には、外交上非常に不利となりますし、安全保障上極めて危険であるとも言えるでしょう*10

また、現状の低いエネルギー自給率*11においては、他国に足元を見られたとしても止む無しと言えそうです。エネルギーの移動と質的変化に着目し、賢い農法を実践することが肝要でしょう。

さらに、グローバリズムの世界においても風土は均質化されないわけだから、当然、各風土に応じた野菜を(できれば自家採種により)作っていければ、それが奇を衒わなくとも各畑のブランドとなり、ひいては良質の食文化形成の起点となるでしょう*12

農を通して景観をつくる

田畑は国宝に引けを取らない超重要文化財です。従って、畑を維持・管理するということは「文化財保護」に該当しますし、また、畑を創造することはパブリックな作品の制作だと言えるでしょう。畑は単に野菜を作るところではありません。環境に調和した形で畑(農地)やまち自体をデザインするという意識と工夫が必要でしょう。

故郷の人々の大勢が主体的に畑づくり=まちづくりをすることにより、より一層の郷土愛が育まれるでしょう。

農を通して絆をつくる

食物は古今東西問わず必要とされるものでかつ、人間に根源的な喜びを与えるものです。つまり、食物は強力なコミュニケーションツールとみなすことができるのです。従って、オリジナリティあふれる食を通して世代間、異文化間の交流を促進させることが可能でしょう。特に、共同で農作業をし、同じ畑で作った野菜を共に食べる経験を重ねれば、深い絆の形成が期待され、このことは社会の安定と個々の生存に大きく資すると考えられます。

農や食を通じた交流を促進させたい所以です。

また、特に中山間地域においては、これまでずっとそうであったように、たくさんの小規模農家が集落にいることにより、共同作業をする機会が増え、主体的にコミュニティを維持管理し続けることができるというメリットがあるでしょう。

さらに、農は人間社会において数千年前より行われてきた生存に関わる営みですから、農に携わことにより、古人を想像し、想いを共有することが可能でしょう。つまり、古人と絆形成を図る(つながりと変化を意識する)ことができうるのです。このことにより、収穫祭や地域のお祭りがより味わい深いものになるでしょうし、さらには、それらを改良、あるいは創造することも可能でしょう。


上記、農を中心とした「ひと・野菜・景観の育み」を続けることにより、良質の文化形成が期待されます*13


以下は、現在作成中の概念図です。作っているうちにどんどんビジョンが整理されていきますね。デザインについては後日詰めたいと思っております。

*1:http://d.hatena.ne.jp/okayasukenji/20090402#20090402f18や自己紹介等に書いた文章を一部再掲しております。

*2:舞鶴市野村寺を中心に

*3:応急処置的な活動も大切ですから、必要に応じてやるかもしれませんが、本当に底力のあるコミュニティを作るためには、故郷の人びとが互いを育みあうことが不可欠で、それは最低でも一世代、三十年程度はかかると思われます。まちはそう簡単に活性化するわけがありません。人を育てることを思えば当然です。腹を据え取り組むことが何より重要です。うまい話はないのです。奇を衒わなくとも、王道を歩めばよいのです。今からそれをやり続け、文化的卓越を果たすことができれば、各国のGDP等がどうなろうと恐るるに足らないとぼくは思います。

*4:下記「一人一道」参照

*5:後日詳述予定

*6:ここでは宗教の多面的機能のうちの一部を取り扱っております。

*7:ごめんなさいね。行動や思考の様式をルーティン化することにより脳にかかる負荷を減らすという戦略が生存に資するという側面はあると思います。

*8:部屋を見れば性格がある程度わかるように、畑を見れば性格が見えてくるものです。自分の畑を外にさらすということは自分の部屋をスケルトンにして住んでいるのと同じようなものですし、さらには自分の内面を他者に暴露していることにもなりえます。畑は原寸大の「箱庭」なのです。

*9:露地における農作業は日中しかできないのがよいですね。日の出・日没という制約条件により欲望の制御が可能となり、ペースコントロールがうまくできます。

*10:国という単位だけでなく、都道府県や市町村、集落、家庭、個人等、様々なスケールで自給率を見積もり検討することが大切でしょう。市場から半歩足を抜くという生存戦略は、全世界がひとつながりになって間もない流動期をしのぐには極めて有効だと思われます。完全自給というのはシステムとして脆いと言えるでしょう。

*11:「太陽を中心に据えて生きる」ことのメリットは、上記ペースメーカーになることのほか、エネルギー自給率の上昇(例えば太陽光発電)も含まれています。さらに、「太陽の下での平等」というより高次の人間社会への転移が期待されます。

*12:その土地固有の気候・風土があってはじめて育まれる野菜を作っていれば、種のみが盗まれたとしても被害は軽微であり、その野菜を再現するためには気候・風土ごと盗む必要が生じますから強力なブランドになりえます。これからの時代は、暴力を振るうとすぐに壊れてしまうものを大切にしていくとよいでしょう。

*13:要は、上記全ての思想や生き方の指針をもとに行動することにより、「こども」としての自分や他者、あらゆる特徴や能力をもった他者を愛で包めるだけの余裕と知恵を持つ文化的土台・仕組みを作るというのがぼくの1つの目標です。安心して子育てができる環境とはこういうものをいうのだと思っています。

okayasukenjiの日記にお越しくださった皆様へ


現在「熟成期間」につき、ブログの更新はしておりません。

ブログを書くほどの内的衝動がないということです。

twitterでは日々何かをつぶやいておりますので

こちらをご覧いただけると幸いです。

http://twitter.com/okayasukenji


静かなコンサートホールでゆっくりと演奏を聴きたい。

そんな心地です。