記憶を検索してみたところ印象に残っている曲が2件ヒットしました

最近、好きな曲やアーティスト、昔聴いた曲について質問されることが何度かあったのだけれど、とっさに出てこなくてなんだかモヤモヤが心の下層を流れ続けていた。

そこで今日、記憶を検索してみたところ2件のアーティストというかシチュエーションがヒットしたので、紹介しておくことにした。

1件目は、2007年11月に京都市磔磔で行われた下地勇さんのライブ。

当時、思い出として残すために数十秒録音したファイル*1を久々に聞いてみた。どうやら「うう゛ゃーますむぬ」という曲のようである。

http://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A9-tin-%E4%B8%8B%E5%9C%B0%E5%8B%87/dp/B0000A4HZ5


この後、「我達が生まり島」とか「おばぁ」等の弾き語りがあったのだけれど、おばぁとか長生きという単語くらいしか聞き取れないにも関わらず、下地さんの優しさが当時のぼくの弱っていた心に染みわたってきて涙が止まらなくなってしまい、必死にうつむいていたのを覚えている。

沖縄県宮古島で生まれ育った彼は、少年時代、干潮になると透き通ったブルーの海の真ん中に現れる秘密の砂の島に寝転がって静寂の中、全身で海や空を感じていたとか。

今振り返ると、今後の地方のとるべき姿を暗示しているとても素敵なライブだったのだと思う。



2件目はこれ↓。

http://d.hatena.ne.jp/okayasukenji/20071016/1233237532

京都の柳馬場通を南下、蛸薬師通りを横切り、六角通りに辿り着くまでにあるコープイン京都という施設で行われていたアマチュアバンドのフォークコンサート。団塊の世代と思われるかたがたによる、ジョーンバエズやPP&Mのコピーバンド

アメリカではジョーンバエズやPP&Mが戦争で疲れたアメリカ人の心を癒した。

日本でも彼らのコピーバンドが多く現れたという。戦争の、敗戦の深い傷を負った世代、あるいは傷を引き継いだ世代が懸命に傷を癒し続け、今に至っているのである。

当時撮影したフォークコンサートの動画を改めて鑑賞してみると、御世辞にも上手いとは言えないのだけれど、とにかく深みが違うのだ。周りにいるオジサマ達が自然にハモりはじめた時には、なんだか音楽と共に生きてきた先輩方の背負ってきたもの、戦ってきたもの、向かい合ってきたものが伝わってきた気がして号泣してしまい、とても恥ずかしかった。

日本の歌手では、たとえばさだまさしが敗戦の傷を大いに癒したと思っている。

そして今の日本は既に新たな段階に移っている。

*1:下地さん、関係者の皆様ごめんなさい。