大学学部生時代

その後、京都大学工学部*1に進学しました*2

入学当初は、つっこみの文化や様々な方言に触れ、自身のキャラが定まらず、カルチャーショックを受けたという記憶があります*3。また、主観的には「精神と時の部屋」に匹敵するくらいに真っ白に感じる壁の狭いワンルームでの生活が苦痛で仕方がなかったため、一年後に和室に引越しました*4。うまく馴染めない毎日を送っているうちに、当初抱いていた志は忘れ去られ、学部時代にはバイト*5や麻雀*6などに没頭し、刹那主義・快楽主義的な六年間*7を過ごしました。ある出来事があって以降*8、一年のリハビリ*9を経て迎えた卒業式では、小中高の卒業とは異なる感動がしみじみと込み上げてきました。

*1:化学を志した理由の一つは、身近な現象のからくりが鮮やかに解き明かされることや、自然法則を利用して身近な製品が作られている(作り出せる)ことを知って感動したためだったと記憶しています。当時、駿台予備校の石川正明先生の書かれた化学の本がとても面白く、今でも記憶に残っています。いい本との出会いは大切ですね。他には、「なぜその反応が起こるのか(反応がある方向に進行する必然性)」についての合理的説明が満足に得られない状況を解消するためもっと学びたいという動機もありました。言い換えると、高校の化学に不満を持っていました。書いているうちに思い出しましたが、○会の質問カードで質問してみたところ、「なぜと言わずに覚えてください。」という回答をいただき、非常に納得がいかない状態にさせてくださりました。自分で思いけるほどのセンスはありませんでしたし、当時はインターネットもなく容易に情報にアクセスできなかったため、もどかしくてたまりませんでした。小中高の教育を通して、このような疑問から出発して、自分で考えたり、先行研究や文献を調べたり、観察や実験をしてみたりすることが自発的に出来るようになることが(面白くてしょうがない状態になることが)理想的な形の「一つ」だと思っています。そのためには、それを実践している身近な人物の存在や、情報へ容易にアクセスできる環境、ある程度の「余裕」、自然などに代表されるイレギュラーとの頻繁なコンタクトが必要でしょう。なお、今は当時のように「あちら」の世界にのんびり興味を持てる状態ではなく、「こちら」と「こちらを取り巻く環境」に注意を向けざるを得ない状況です。もちろん両者は根底では繋がっています。

*2:それまでの人生において他にこれといって達成感が得られる出来事がなかっただけに、当時の達成感はよく記憶に残っています。受験は良くも悪くもゲーム感覚でした。

*3:当時は今にも増してナイーブでした。

*4:木と畳が大好きなのです。田舎で、自然に囲まれた寺のようなところに住むのが夢の一つです。

*5:家庭教師、引越し、学校のフロアの樹脂加工、工場、スーパー、コンビニ、ファミレス、スナック、遊園地など、ありがちなものの多くをやりました。遊園地での仕事では、子どもたちのうれしそうな顔を見る日々が本当に幸せで、天職かもしれないと思いました。一度、ある研究所での仕事で、行ってみると職員全員が日本語のできない外国人だったということがあり、あせりました。三時のおやつの時間がたしか40分ほどあり、少しでも残業すると早く帰れと怒られました。文化の違いを感じるとともに、「生活の豊かさ」をうらやましく思いました。今後、どんなに小さな組織でもよいから、「経営者の視点」を得る経験をしてみたいと思っています。また、将来、地域密着型のこじんまりした書道教室と塾を開くという夢を持っています。

*6:雀荘に入り浸っていました。これはおそらく、幼少期の将棋や高校時代の部活以上にやりまくりました。将棋とはまた異なり、知性、感性、共感力、瞬時の判断力、リズム、体力、身体制御能力、様々なものが必要とされる本当に面白く奥の深いゲームだと思います。一方で、負の部分もたくさん体験しました。

*7:当時、自分の写真を見てあまりのひどさに驚愕したことがありました。単位取得状況の芳しくない学生に対する個別面談があり、その時話してくださった退官間際の先生が、本当に「深くやわらかくきれいな形」をされていて、会った瞬間敬服しました。学を修めるとはこういうことなのだと思いました。「(特に学業の面において)失われた(失った)六年」には、たくさんの楽しい日々の思い出とともに、それに勝るたくさんの反省点がありますし、また、そうなった背景を探るにはこの時代以前に遡って分析する必要がありました。今後、教訓として生かしたいものです。バカなこともいろいろとしましたし、楽しいこともたくさんありました。

*8:幸福感のあまり、もう死んでもよいと思った瞬間がありました。

*9:このころ、おそらく時間がありあまっていたために、デカルト的な問いに目覚めてたりしていました。当時はひとまず「私」を第一原理として採用するところに落ち着きましたが、今では「私」が様々な濃度になりうることを知ったこともあり、当時の考えは「狭かった」と思っています。第一原理を定めて演繹しようとするスタンスは典型的な論理性のなせるわざでしょう。