自分に効いた薬を他者に勧めすぎるな

たとえば、抗がん剤は今の私には必要ないけれども、必要な状況にある人も当然いるだろう。副作用もある。

人はしばしば、自身に効果があったものを他者に強く勧めすぎたり、強制してしまったりしがちであるし、自分の好きなものに対する理解が得られないときや他者の気に入っているもののよさがわからないときには、喧嘩をしたり見下してしまったりすることがある。

医薬品も音楽も映画も絵画も文章も宗教も思想も皆、ある状況や症状の人には必要な、そして何らかの副作用を(しばしば)伴うクスリ*1とみなすことができる。

この点を意識しておくだけで、他者の音楽や宗教などの趣味を変に差別することなく見ることができるし、意見の相違から険悪になることも減るかもしれないし、よかれと思って他者に押し付けてくる迷惑な人も少しは減るかもしれない。

もちろん、感動を伝えようとすることを否定するつもりはないし、自分に効いたものを人に勧めることを頭ごなしに否定したいわけではない。

ただ、無理解から生じる差別意識やいさかい、強要が減ることを願っているのである。


「たとえ自分に効いたとしても、自分と症状の異なる他者に効くとは限らない*2。」


この観点が他者理解と共存の第一歩となりうると、僕は思っている。


もちろん同時代の多くの人がかかっている「病気*3」があるだろう。その病気に効く「クスリ」は「売れる」。時代を捉えるとはこういうことである。

時代を超えてある割合の人々に発症するような「病気」に効く「クスリ」が、たとえば諺だったり、長く残っている音楽や思想、宗教だったりするのだろう。要するに、人間の生存に役に立つクスリが残るのである。普遍性とは、例えばこういうことだろう。


残らなくとも、その時代の多数、あるいは少数の人に効くクスリにも、もちろん十分価値はある。

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*1:ドーピングや予防接種の役割を果たすものもあるのでしょうが、ここでは扱わないことにします。

*2:具体的にどのように症状が異なるのか、なぜ異なるのか、掘り下げることにより、さらに人間理解が深まり、成熟した人間関係が構築されていくのでしょう。また、逆に、そのときの自分に効かない「クスリ」に出会ったときに、それに対して安直な批判を加える前に、そのクスリが今の自分には必要ないだけだという可能性について気に留めておくことが重要でしょう。もちろん、誰に対してもほとんど効かないものや、多くの人の健康を害するものも中にはあるのだと思います。

*3:私はここで、「病気」や「症状」という言葉をいわゆる病気や症状より、もう少し広い意味で用いています。ですが、これらの言葉は、比喩ではなく、実際に人間の身体の状態を示しています。また、身体に作用を及ぼす(バランスを回復させる)ものを「クスリ」と呼んでいます。