時には孔雀もいいけれど――等身大になりたい

他者に自分をよく見せようとして、大きなことを言ってしまったり、他者の評価を落とすような言動をしてしまうことが私には時々あると思われる。正確には、常にそのような傾向があり、刻一刻「粉飾」や「威嚇」の程度がゆらいでいるのだろう。また、そうなっていると思われる人を見かけることもしばしばある。以下は、自身やそれらの人々から私が学んだ事柄を一般化したものである。

例えば、自己評価が他者(による自分の)評価より高いときには、他者に認められていないと感じるため、粉飾の傾向が現れるだろう。これが「孔雀」である。逆に、本当は自分に自信がない場合にも、自身に言い聞かせるように自分の有能性をうたい他者を貶めようとすることがある。いわば、「威嚇するカマキリ」である。あるいは愛情の枯渇が原因で、他者に受け入れられていないと感じるときにも、粉飾や威嚇の傾向がしばしば見られる。「はぐれ猿」である。他にも、様々な粉飾や威嚇の原因があるのかもしれない。これら粉飾や威嚇の衝動を自己顕示欲というのかな。

大きく羽を広げて自己を粉飾する孔雀や、威嚇のために羽を広げて大きく見せようとするカマキリの言動に惑わされすぎないことが、うまく生きるためには大切だろう。なぜその人の口からそのような言葉がそのようなニュアンスで出てきたのかを冷静に見つめることが、円滑なコミュニケーションのためには必要だろう。

また、自身の「孔雀性」や「カマキリ性」を見つめることも大切だろう。時には孔雀もいいけれど、出来るだけ等身大でありたいものである。孔雀やカマキリにもメリットはあるのかもしれないけれど、等身大のほうが、周りも自分もきっと心地よいからね。だから、私が「無自覚に」孔雀やカマキリになってしまっていると思われる時にはぜひ、「なってるっぽいよ!」って明るく声をかけてほしい。それにより、「ああ、私、また孔雀になっていましたか^^;」と気づけて修正できるから。でも、言いすぎはよくないかもしれないね。そうならざるを得ない危うい状況に陥っている人に言い過ぎると、いじわるになっちゃうかもしれないし、下手をすると被害の拡大を招きかねないから、気をつけたい。みんないろいろあるだろうから臨機応変に対応するのがいいのかな。

さらに、孔雀やカマキリを温かく受け入れられる精神のゆとりを維持できるよう努めることもまた大切だろう。余裕があるときには、例えばテレビや新聞で、「まだ羽を広げるかね」というような著名な方に出くわすと滑稽で愛嬌があってかわいらしく思えるものである。

「おっ、あの孔雀、羽を広げてるな」って。

人間社会をいろんなカマキリや孔雀に変換するフィルターを通して鑑賞すると、とても面白い。

と言いつつ、「卑下も自慢のうち」という言葉がよぎったり。

等身大って「どじょう」のようで、掴むのが難しいよね。

きりがないから、最後は豪快に羽を広げて終わろうかね。

仏陀になろうとするとますます仏陀から遠ざかる。



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