ゴッホの症状の推移

まずはナイツ風枕にて

最近、絵とか見ようかなと思いまして*1、どういう絵が流行ってるのかなと思って*2、ちょっと昨日ヤホーで*3いろいろ検索して調べてみたところ*4、なんとですね*5、皆さん知らないと思うんですけど*6、今ものすごく人気のある画家を*7一人見つけてしまったんです*8

ゴッホって知ってますか?*9

今かなりね、有名な画家の一人でして*10、今日は皆さんにゴッホさんについて調べてきたので*11お話をさせていただきたいんですけども*12、本名がワンボックスBONGOと*13いいまして、生まれが*14ベランダで*15 (略) 


それでは本題に入ります。

生きているとごくまれにそのようなことが起こるようです。

それは、数年前、MOMAのホームページをなんとなく見ていたときに起こりました。不意に、掲載されていたゴッホの「星月夜」に遭遇した時、その絵は直視できないくらいに突き刺さってきて眩暈を覚えるほどでした。星月夜を見たのはおそらくそれが始めてではないはずです。にもかかわらず、そのとき受けた衝撃は、後に本物を見たとき受けた印象をはるかに上回るものでした。

それからしばらく経った後、何の因果か、認知的な意味においてゴッホと共に歩まざるを得ない事態に陥りました。当時の嗜好は、黄色い家や夜のカフェテラス、花咲くアカシアの枝などの、生々しい感性がむき出しにされ、自我のえぐられたいわゆる「不安定な」後期の作品でした。

それから数年経った今、嵐はなんとか無事に収束を迎えました。それと共に嗜好も変化し、最近では、初期の農夫(農婦)や靴、風景を描いた作品を好むようになりました。これらは、後期の濁流の中を為す術もなく流されていく生々しすぎる作品に比べれば、作者の心身のバランスの整っていることが一目瞭然の落ち着いた作品と言えるでしょう。

当時が彼に恋をしていたのだとすれば、今は別れた恋人を遠くから想う感じに近いと言えばよいのでしょうか。たとえ星月夜という作品がこの世に生まれていなくともよかったから、彼に精神の平和が訪れてほしかったと切に思うのです。

実は渦中にいる時、私は数枚の絵を描いていました。それらの絵を、ごく最近描いた絵と比較してみたとき、愕然としました。渦中において描かれた私の絵は晩年のゴッホの絵に、私が最近描いた絵は初期のゴッホの絵にあまりにも酷似していたのです*16。もちろん、クオリティーや価値における話ではありません*17。その「属性」において酷似していたのです。つまり、前者が視野狭窄に陥り、前のめりでエキサイトした、極めて不安定にして過敏な自我のあり様で描かれたものであるのに対し、後者は視野が広く、余裕があり、バランスの取れた、心身が極めてリラックスし、自我が適切なオブラートで覆われた状態で描かれたものに映ったのです*18。この体験を経て以降、私は絵というものが示す本人すら無自覚の無数のメッセージに敏感にならざるを得なくなりました。


ゴッホの手紙』*19という、彼が弟テオと長年に渡ってやり取りした膨大な量の手紙を収めた本があります。この本は、彼の精神の内実を窺い知ることのできる貴重な資料です。その中から、ゴッホという人間のほんの一部を切り取る言葉を挙げておきましょう。

「心で握手を」

彼がある時テオに宛てた手紙の最後に添えた、彼という人間が凝縮された言葉です。

ルーラン夫人と赤ん坊」という作品があります。母親が抱きかかえている小さな赤ん坊を描いたその作品における彼の眼差しには、彼の人間性および枯渇した愛情が十分に反映されており、見ていて胸が熱くなってきます。

彼の色彩に対する感受性の鋭敏と、それがゆえの精神の不安定*20をよく表した言葉の一部としては、例えば、以下が挙げられるでしょう。

「君は理解してくれるだろうか、音楽で慰めの言葉を語ることができるように、同じように、ただ色彩を配置するだけで詩を語ることができるということを」

「ぼくが色彩に関して一種鋭い感性を持っていることは、
自分でようく知っている。その感覚はどんどん発展していって、もう、ぼくは、絵と道づれになって行くしかないということも」

「いま、ぼくは、ほんとうに星月夜を描きたいと思っている。しばしば気づくことなのだが、夜は昼よりもずっと色彩豊かなのだ。紫や青や緑で、このうえなく強烈に彩られている。
注意して空を見てごらん。星は、ときにはレモンイエローで、
またある星はピンクや緑や青や勿忘草色の火に燃えているよ。
そして、これ以上強調するまでもないが、星月夜を描くためには、濃紺に白い点を置いただけでは全然だめだということだ」

あの運命に至るまでの過程は、主観的にはきっと一直線だったのでしょう*21


拍手する

*1:お、絵に興味あるの

*2:うん

*3:ああヤフーねあれヤフーって読むの

*4:うん

*5:うん

*6:うーん

*7:うん

*8:それだれですかね

*9:今さらかよ今さらゴッホ知ったのね

*10:うん名作残してる人だよね

*11:うん

*12:うん、ゴッホのこと調べてきたのね

*13:それ車じゃねえかよ。ごめんねゴッホ人ですからね

*14:うーん

*15:オランダだよ、ベランダで生まれちゃおかしいからね。べじゃなくてオだね

*16:特に渦中における絵の類似性には目を見張るものがありました。

*17:実際、私は犬を描いてもそれが何か理解されないくらいに絵が上手ではありません。

*18:もちろんこのことは当時と比較して圧倒的に落ち着いている今の状態で見て初めて気づけることだと思われます。当時と今の状態の違いに比例する明瞭な落差が二枚の絵にはあったのです。

*19:ゴッホの手紙』みすず書房

*20:精神の不安定がゆえの感受性の鋭敏とも言えるのでしょう。

*21:ゴッホの絵が長年に渡って人々を魅了し続ける理由の一つとして、狂気と正気の境で必死に踏みとどまるために「描かざるをえなかった」絵だからということが挙げられるでしょう。「創りたい」というよりかは「創らざるをえない」状態。真剣さと切実さの強度が違うのだと思います。絵画に限らず優れたアートや思想、哲学の一部はそういう精神(心身)状況において生み出されているように思われます。生きることにおいて不器用な人々、あるいは幸か不幸か生存の危ぶまれる状況に陥ってしまった人々は精神のバランスを整えるために創らざるをえない。著名なアーティストに夭折した方が多いのも偶然ではないのでしょう。