坂田師匠とたけしさんと松本人志さん――表情にありのままを出すという生存戦略

人間にはしばしば、自身に生じた感情を素直に表情や言葉、動きとして表出させることを避ける傾向があるようです。この状況に応じて感情を隠すという振る舞いは、おそらく、人との関わり合いが生存上重要となる人間にとって、少なくともこれまでにおいては有効な生存戦略であったため存在しているのでしょう。一方で、人間には、ひょっとすると主にこの行動により、しばしば自身の本当の感情に自分自身が気づけないというやや間抜けな弊害が生じているように思われます*1

私は最近、自身の体を実験材料として用い、出来得る限り感情をストレートにかつ大げさに表情や動きとして表出するという訓練を重ねることにより、より細かく自身の感情を把握することに成功しました*2。その結果、感情の変化を今まで以上に細かく速く感知することが可能になり、心身のバランスを適切に導くためのより細かいフィードバックを効かせることが可能となりました*3。さらに、驚くべきことには、ある精神状態において、アホの坂田師匠の横歩きやビートたけしさんのややガニマタぎみで首を傾けながら肩を回す動きが自然に出てくるという実験事実が得られました。長年に渡って人々から愛され続け、モノマネされ続けるあの素晴らしい動きが生まれる仕組みがわかったような気がしました。あのような偉大なギャグや動きは、生存上止むに止まれぬ事情により生じたのだと思われます*4

松本人志さんも、感情をストレートに表情に出すのがうまい方だと思います。彼の愛嬌ととっさに笑いを作る時のスピードおよび柔軟さは、感情を素直に表情に出していることおよび、それとのトレードオフにより得られる整った心身のバランスに起因しているのではないでしょうか。

私たちのような一般人が安易に彼らの真似をしすぎると、実生活において様々な弊害が生じる可能性が高いですが、一方で、感情を出来得る限り隠さず徹底的に出していくことにより心を整え、結果、素直に出してもほとんど弊害が生じない形に至らしめるというストラテジーもまた有効なのかもしれないと思いました。要は、どのくらい出すのか、何を出して何を出さないのか、といったさじ加減の問題なのでしょうが、私の場合には、もう少しオープンにしていくとより様々なストレス因子に対する適応性を高めることができるのかもしれないと思っています。何より、そうしたほうが学びが多いということが、私にとって捨てがたいメリットなのです。


しかしこの話、本当にアホな話ですね。要するに、やりたい放題してたらたまたまアホの坂田師匠みたいになりましたというただそれだけの話なのですから。

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*1:厳密には、「私にはカクカクの弊害が生じているようです」と一人称で語るべきでしょう。

*2:という気がしています。

*3:顔面を捨てて心身をとる。ということです。

*4:本当にそうなのかはもちろん知りません。