読書法―速読かスローリーディングか

under construction(2009/3/27改稿)

introduction

昔(今も?)速読が流行。速読の欲求の起源の大半はおそらく、「短時間のうちにたくさんの情報を入手したいという欲求」だろう。この欲求の起源、社会的背景、盲点。


本にかぎらず、ある対象に接した時に、その対象から学ぶ内容と深度には無数のレパートリーがある。以下では、読書を「読むスピード」の観点から掘り下げ「速」と「遅」を比較検討する。

objection

平野啓一郎『本の読み方―スロー・リーディングの実践』*1

本の読み方 スロー・リーディングの実践 (PHP新書)

本の読み方 スロー・リーディングの実践 (PHP新書)

「本をどう読むか」について掘り下げた本。深く考え、丁寧に味わう読書の有用性を主張。量から質への転換を奨励。小説におけるノイズの重要性を説き、古今の名作を題材に上記読書法を実践。

本当の読書は、単に表面的な知識でえ人を飾り立てるのではなく、内面から人を変え、思慮深さと賢明さをもたらし、人間性に深みを与えるものである。(9頁)

闇雲に活字を追うだけの貧しい読書から、味わい、考え、深く感じる豊かな読書へ。(9頁)

一冊の本を、価値あるものにするかどうかは、読み方次第である。(20頁)

重要な一節に出会う度に、本を置いて考える。ときにはそのまま、読書を中断して、翌日までずっとものを考えていることもある。そんなことを繰り返していて、速読などできるはずがない。(80頁)

主体的に考える力を伸ばすこと。これこそが、読書の本来の目的である。(81頁)

平野啓一郎『本の読み方―スロー・リーディングの実践』〜

その他読書法に言及した書籍の紹介(本題とは直接関係のないものも含む)

cf.

  • ショウペンハウエル『読書について』岩波文庫

読書について 他二篇 (岩波文庫)

読書について 他二篇 (岩波文庫)

「哲学研究者」ではなく、「哲学者」である著者が読書について語った本。

「いかに多量にかき集めても、自分で考え抜いた知識でなければその価値は疑問で、量では断然見劣りしても、いくども考えぬいた知識であればその価値ははるかに高い」5頁
「多読は精神から弾力性をことごとく奪い去る」7頁
「読書はただ自分の思想の湧出がとだえた時にのみ試みるべき」9頁

〜ショウペンハウエル『読書について』岩波文庫

読書力 (岩波新書)

読書力 (岩波新書)

読書することの素晴らしさをアツく語った本。読書は自己形成のため、向学心、好奇心の養成のため、コミュニケーション力*2を身につけるために非常に有効な手段である。読書力の基準や読書を習慣化するための具体的方法にも言及。

本を読む本 (講談社学術文庫)

本を読む本 (講談社学術文庫)

  • 立花隆『ぼくはこんな本を読んできた』

バカにならない読書術 (朝日新書 72)

バカにならない読書術 (朝日新書 72)

my opinion

私が最も言いたいこと

一般に*3、速度を上げすぎると、感性、主体性、創造性が損なわれやすい。そういう行為(読書習慣)が慢性化すると、それらの慢性的喪失を招きうる点で生存にとって危険である*4

感情は人間がうまく生きていくために不可欠なものである。速度を上げると感情が動きにくいということはよくある。これには長短両面があり、使い方次第で毒にも薬にもなる。「速さ」に固執しすぎ、人生(日常)において、感情を耕すことをなおざりにしすぎた結果、感情*5の未発達や感情の慢性的硬直を招くことは生存上好ましくないと考える。

ex. DVDや音楽を二倍速、四倍速などの高速で聴くと感情が動きにくいという具体例。歩きながら見る景色と車窓から見る景色の感じ方の違い(「新幹線効果」について)。経験的に読書においても同様である。

主体性に関しては上記平野啓一郎さんの著書にもあるとおり。


以下では、生きるにあたっての「ペース」と「心身のバランス」の相関とその重要性の観点を中心に、以下で速読とスローリーディングの長短を分析する。

スローリーディングの長短
  • ゆっくり読むことの長所 


感情がよく動く。

じっくり読むことにより、著者という人間を尊重し、深く知ることができる。作品にふさわしいペースがある(が、あえてその作品を高速で読むことにより得られるものもある)。

*6主体的に考えながら読むことができる。結果、主体性と創造性が涵養される。

  • ゆっくり読むことの短所 


有限の人生→より多くの著書に触れることができない

感情に流されやすい
 

速読の長短
  • 速く読むことの長所 


表面的な情報を大量に摂取できる

訓練を重ねるにつれて、しだいに読書の最高可能速度および論理的思考の最高可能速度が速くなる。

再読の際、高速で画像として文字を読むことによりプロットや論理構成がつかみやすくなる。

感情にながされずにとらえることができる。これは演説などを聴くにあたって、感情に流されずにコンテンツを追う際にも応用できる。

  • 速く読むことの短所


見落としや、こぼれ落ちるものが多い。目で見て噛まずに飲み込むことに等しい。

こればかり繰り返した場合、思考における主体性の喪失が懸念される(ともすると教条主義的になってしまう)*7




そもそも、人間は情報をたくさん仕入れるために生きているわけではない。一方で情報を多く仕入れることにもメリットはある。最も大切なことは、「その行為が生きることに役立つ」ということだろう。速読に執着しすぎてワンパターンの脳の使い方をし続けた結果、心身のバランスを崩してしまったり主体性や創造性の喪失を招きすぎた場合、生存上の危機に陥ってしまう。一方で、限られた時間で必要な情報を大量に獲得する必要に迫られることもある。従って、自分の心身の状態や状況を踏まえた上で、

作品のリズムにのって芸術としての文章を味わう cf. 吉本隆明芸術言語論

音を介さずに高速で読み、構成をつかむ

無数の中間のスピード

などを使いわけられるよう訓練をしておくとよい*8



その時々にどういう読み方をするのがベストか、その判断自体の絶対的基準はわからない。

一般に、人生において何かを選択するということは、その時点でその瞬間にありえた別の可能性の全てを放棄することに等しい。この避け難い事実を受け入れながら、腹をくくって時々刻々の判断を重ねていくしかない。読書もしかり。読み方には無限のレパートリーがあり、それぞれに長所と短所がある*9。絶対の正解というものはわからない*10。その中で、上で述べたようなそれぞれの読み方の特徴を参考にしながら何かを選んでいくことになる。

例えば、はじめて「坊ちゃん」を読むという体験は人生で一度しかできない。どんな生い立ちの人が、いつ、どこで、どういう読み方をするのか。無限の坊ちゃんとの出会いがありうる。一人一人が異なる「坊ちゃん体験」をすることになり、その一人の体験の仕方の可能性も無数に存在する。


結局、私は今のところ、その時の自分の心身が欲している本や、長期的に自分の魂の栄養になると思われる内容の濃い本をその時々の判断で基本的にはじっくり読み、しばしば再読するという方法を採っている。この方法が、自身の、そして人間の長期的生存にとって非常に重要だと思っているから。


読書以外へ「ペースと感性」論を展開

経験科学的手法の有効性と論理的思考偏重状態で過ごしすぎることの弊害

忙しすぎる時におこる「生きる意味」という問いについて。生きる意味を問うことのメカニズム*11

上記、「ペースの重要性」について

ペースメーカーとしての雪、大河、音楽、スポーツ

笑いについて。

音楽に感動する現象。

うまく生きるための、症状に応じた薬としての「笑い」や「芸術」(文章、音楽、絵画、映画・・)「思想」「宗教」「医薬品」など。それにより心の平衡(心身のホームポジション)を取り戻す*12。自分がその時欲するもの、笑ったもの、感動したものにより、自分の心身、生活の状態を知ることができる。

欲するものの例 酢の物、肉、笑い(どんな?)、音楽(どんな?)涙、愛。


環境・ペースが変えられないときの「薬」の例

夜と霧 植民地哲学




スピードと感情の相関―応用編

振り込め詐欺に見る手口

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/seian/koreisagi/hurikome_onsei/hurikomesagi.htm

実録 振り込め詐欺の実際

難しい内容の話を聴くときには論理性をフルでまわす必要が生じるということ。普段聞き慣れない固く(難しく)しかも穏やかでない内容の話を速いスピードで(せかす)話すことにより、コンテンツに注意を向けさせ、自分の感情をモニタすることから注意をそらすパターン。感情・情動により思考が大きく影響をうけるということ。

振り込め詐欺だとわかっていても気分が悪いということ。悪いのはあなたで私は被害者という語り口で罪悪感を持たせ、認知の揺らぎを誘うパターン。


ソリューション


解毒剤 

cf.無門関

無門関引用

無門関的ソリューションとは

論理破綻、フレームをすてること。心身を意識すること。

その場合のメリットと弊害 

ex) 電話にていきなりタメ口で話しかけてくる場合、即切り (例がよくないので直す)

心身のバランスを整える訓練

スパルタは心身および組織の慢性的硬直を招くリスクがある*13

現実世界で存在するスパルタやハラスメントや暴言に対処するための訓練として

  • 心身は超リラックスした状態で口調はめちゃくちゃ怒りあうという練習(遊び)

exコント、漫才(やる、あるいは見る)

予防接種としての役割を果たすダウンタウンブラックマヨネーズ、トロサーモン

  • 突然の暴力や身の危険に対して心身をリラックスさせて対応する練習としての武術

*1:http://d.hatena.ne.jp/keiichirohirano/20061002/1159783234

*2:読書を通じて要約力を鍛えることにより、相手の話の要点を掴み、その要点を引き受けて自分の角度で切り返すスキルが向上する。

*3:読書も含む

*4:のではないかと経験的に思う。

*5:と一口にいっても無数のレパートリーとひだの細かさがある。

*6:上で触れた平野啓一郎さんの著書にもあるように

*7:私の場合、たいてい、本を読んでいると、次々に疑問や調べたいこと、アイデアがわいてくるから、それを余白に書きとめざるを得ない。また、しばしば、本から目を離してボーっとしたり、歩きながら考えたりする時間をとらないと、主体性と創造性が著しく損なわれていくように感じる。

*8:ここではスピードに絞って論じている。従って、「遅く読む」というカテゴリーの中にも無数の読み方、着眼点があることには触れていない。

*9:しかもその長所と短所も全て把握できることはないと言ってもよいだろう。

*10:正解はたくさん存在すると考えたほうが精神衛生上よいだろう。

*11:http://d.hatena.ne.jp/okayasukenji/20081213/1233234067

*12:心身に作用を及ぼすという観点で見れば、芸術もお笑いも医薬品も同じ俎上に乗せて扱うことができる。芸術は主に感覚器に入力される電磁波や空気振動などにより、医薬品はダイレクトに化学物質により脳や身体の状態を変える。これらを「症状に応じた薬」という同一の視点から見ることにより、知識不足による差別や他者に対する無理解からの解放が期待される。つまり、他者と自分の、音楽や思想、宗教の嗜好の違いを受け入れ、理解する土台になる。症状に応じて医薬品を服用するように、症状に応じた思想や宗教、音楽を自身に処方するのが好ましい。こういう見方ができる人が増えれば、自分にとって効いた「薬」を他者に強要する迷惑な行為も減少するかもしれない。

*13:http://d.hatena.ne.jp/okayasukenji/20081013/1233234391