戦争予防学草稿――戦争するなんてアホすぎるやん!

under construction

戦争はなぜ起こるのでしょうか。どうすれば回避できるのでしょうか。回避した場合どのような弊害が生じうるのでしょうか。非常に興味があります。そこで、戦争について考えるためのベースキャンプを作っておくことにしました。


序論

人間は過去に数多の戦争を行ってきた。現在(2008年)においても、アメリカ、イラク、アフガン、タイを始めとした多くの国々が戦争あるいは内戦状態下にあるし、各地でテロが頻発している。「もし戦争が好ましくないのであれば」、これら現在進行形の暴力に対し応急措置を採ることは非常に重要であるし、実際、これまでにも種々の試みがなされてきた。例えば、(具体例)。一方で、もし戦争、つまり大量殺戮のより高度な抑制を実現したいのであれば、即効性はなくとも過去の事例を仔細に検討することが人類にとっての最重要課題であろう。これまでに、(先行研究、マルサス、ブートゥールなど)。本プロジェクトにおいては、過去に人間集団において発生した種々戦争に対し、現象学的、経験主義的分析を加えるとともに、戦争状態でない状況の分析も併せて行うことにより、戦争を人間(生物)集団のダイナミクスの一部として把握し、戦争が起こる(可能な限り)普遍的なメカニズムを解明(解明の可否の判断も含めて)することを最終目標とする。分析の進展に伴い、戦争誘発条件群の精緻化およびより高度な戦争予防(の可否の判断も含めて)法の獲得が期待される。上記、戦争の高度な意図的抑制は、人類の文明獲得以後数千年間、達成されたことのない非常にチャレンジングなプロジェクトである。以下に、研究指針の一例の概略を示す。


方針の一例

1.材料収集―戦争の博物学(起源やパターンの分類など)と先行研究の把握

2.収集・研究手法の検討―アプローチ法の模索とその妥当性の検討

3.マクロな視点から―環境(集団の人口と世代・性別人口分布、人口密度、食料自給率、経済状況、地理、気候、疫病、道具(武器、生活用品、機械)など)と体制(人間集団のシステムの形態)の相関

4.マクロとミクロの接続―環境・体制と各人の心身のあり様の相関

5.生物種の一つとして人間を相対視する―異種生物および人における同種間闘争の類似点と相違点の把握およびそれらの生物学的起源



ぼやきと応急処置と心構え

このような大きなテーマをちょっと考えてみましたが・・・正直、めちゃくちゃ難しそうです。

当面の戦争予防の具体的処方箋としては、経験(則)から予防のための必要条件*1を探り、実践していくという方法になるのでしょうか。つまり、予防する(減らす)には少なくともこれをしたほうがいいよね、ということを積み重ねていくやり方。これは戦争に限らず日常生活の様々な場面で使える方法でしょう。

例えば、交通死亡事故予防において、飲酒運転の禁止、無免許運転の禁止、シートベルト着用、安全運転のためのキャンペーンや取り締まり、車の性能の向上に向けた企業努力などが実践されていて、それなりの効果が出ているように、それが十分条件でなくとも、種々必要条件の地道な実践により状況を改善することができるのかもしれません。多国間交渉や段階的軍縮というのもその一例でしょうか*2

また、「もし戦争を起こしたいとすればどうすればいいか」*3を検討し、続いて、逆を考えることによりその抑制法を得るという手法も即効性があり現実的なアプローチの一つでしょうか。

いずれにせよ、こういうことは戦闘の「渦中」にいる人にはなかなかできにくいことだと思います。今の日本のように、国土が戦争状態になく、飢餓の危険性も低い(とは言えないかもしれないけれど)国の人達が今のうちに腰をすえて全力で取り組むべき課題でしょう。人道的な意味はもちろんのこと、学術的にも非常に面白い課題だと思います。掘り下げていく中で、戦争に関することだけでなくもっと本質的な集団の挙動原理の解明が期待されうると考えています。

どなたか興味のあるかた、ぜひやってください。多分、いろんなアプローチでやっている人がいるんだろうけれど、私は今のところ把握しきれていません。これから、ぼちぼち調べてみようと思っています。

以前友人が「戦争するなんてあほすぎるやん」とさらっと言いましたが、私はその感じがとても好きです。もちろん今の日本に住んでいるからこそ言える名言だとは思いますが、世界中がそんな感じになるのが理想的でしょう*4

思うに、戦争になる寸前まで状況が出来上がってしまったときに手を打っても、もう手遅れなのだと思います*5。従って、最警戒態勢をとるべきは「まさに今」でしょう。平和を維持すること、つまり戦争をしないことは、状況によっては戦争をすることより苦しいことなのかもしれません。平和を本気で志向するのならそういう覚悟は必要だと思います。平和の維持ということは生ぬるいものではないでしょう。

我慢のきかない馬鹿が戦争をする。あるいは、無策がゆえに過度の我慢をしなくてはいけない状況に陥ってしまう馬鹿が戦争をしてしまう。一面的な見方かもしれませんが、こういうことなのかもしれません。今のところ、残念ながら私もその馬鹿の一人である可能性が高いです。

昭和戦争敗戦以来、日本は戦争をせずに今を迎えることができましたが、これは必ずしも日本人が戦前に比べ賢くなったからではない可能性が高いと私は考えています。戦争が起こってしかるべき状況にならなかったから必然的に戦争が起きなかったのかもしれません。だから、油断*6は禁物でしょう。一歩一歩賢くなっていきたいものです。

*1:憲法九条や力の均衡云々は、ある状況下においてのみ機能する予防のための必要条件のひとつにすぎないと思われます。

*2:予防のための基礎的な学術研究部門、その応用としての内政・外交部門、さらに今の防衛省が担っている武装部門などを統括した組織を作るとよりバランスのいい防衛ができそうです。武装は戦争予防のための一つの部門にすぎないし、それだけで安全を得ることができないことは明白でしょう。

*3:あるいは、「戦争中に何が奨励され何が禁止されていたのか」

*4:(クソ)真面目はしばしば危うい状況を招きますね。一方で、誠実さは大切だと思っています。「誠実」と「真面目」の言葉の定義とその意味するところを明確にわけるとよいと思っています。

*5:そうなってしまったときには、外の敵に勝るとも劣らぬほど身内が恐ろしくなるというのは歴史の示すところです。私は無理やり戦争にかりだされたり、言いたいことを自由に言えない状況に陥ったりすることだけは絶対に嫌ですし、おそらく皆さんも嫌でしょうから、なんとか賢くなりたいと思っています。

*6:油(エネルギー)を断たれたり断ったり。