私にとっての西武――ヒーローを求めてしまう心性

関西に生まれ育った私は

当然なされるすりこみにより

物心ついた時には選択の余地なく阪神ファンになっていた。

日本語を母国語としてしゃべっているひとが

母国語を選択する余地がなかったのと同じことである。



バースや掛布、岡田が活躍した85年の阪神優勝時、私はまだ小学校一年生くらいであり、

優勝の記憶はほとんどない。

以後、阪神帽をかぶって過ごした少年時代の私が強い阪神を見ることは二度となかった。

そんな弱い球団を応援する者の心性として、

代償になにかヒーローを求めてしまうためなのだろうか。

私も含め、周りには、「好きな球団はセリーグ阪神パリーグは西武」という人がちらほらいた。

当時、西武といえば、

バク宙の秋山幸二、ガッツポーツのデストラーデ、若々しい清原和博などに代表される、

体格がよく機動力もある多くの華のある選手を擁した常勝軍団であった。

当時は確かデーゲームだった日本シリーズで、

圧倒的な強さを見せるライトブルーと白のユニホームに包まれた彼らはあまりにもカッコよく、

夢中で応援していたことを今でも鮮明に覚えている。



今年の日本シリーズの西武対巨人戦は、第七戦までもつれる激戦の末、西武が接戦を制し日本一に輝いた。

久々に当時の匂いをほのかに感じさせるチームが戻ってきた気がして、興奮すると共に、ふと昔のことを思い出した。

きっと、かつての私がそうであったように、今回、彼らに憧れを抱いた子どもたちはたくさんいるのだと思う。