先日、京都の清水寺に行った。予想通り、紅葉目当ての行楽客で超込み合っていて、あかの他人の赤ちゃんに「超純粋無垢〜」という新鮮な語感の熟語で語りかけながら微笑みかける若い女性や、「うちが男やったとしたら10歳から23歳まで恋愛対象になる」「ええ、それってロリコンやん」という女子高生の味わい深い会話を小耳に挟みながら順路を進んでいくと、清水寺において毎年恒例の「今年の漢字」の募集に出くわした。とっさに「崩」という字を思いついたから、ちょっとネガティブかなと思いつつ、書いておいた。四川大地震、チベット自治区の人々の生活、食べ物やエネルギー資源価格、環境、金融、政治に対する信頼、モラル、阪神タイガース日本一の夢は個人的なことだけど、とにかくいろんなものが「崩」れたと感じたからだ。しかし、しばらく経って「揺」だったか、いや、今年を諭す一文字なら「倫」だったか、アルファべットならなんだろう、などと様々な文字が脳裏をよぎることになり、今でもなんだかもどかしい。
そんな経緯があり、今年をさらっと振り返ってみたいのだけれど、それは少し面倒なので、ひとまず今年の秋にターゲットを絞って、気になったことを超個人的なことも含めて散文的に書き散らしてみることにした。
まず、トピックニュースだが、二十数年前に比べて背中をつかんでもカマで攻撃してこない従順なカマキリが増えた気がした。
本当だとしたらなぜだろう。
「勇気ある撤退」ということなのだろうか。
蟷螂はもはや「蟷螂の斧」ではない。
生存戦略を柔軟に変更するということはきっと大切なことだろう。
生存と言えば、人類全体の生存にとって死活的に重要な問題が、環境問題だろう。
つい数ヶ月前までものすごい騒ぎようだった気がするけれど、最近CO2とか地球温暖化という言葉を全く聞かなくなった気がする。
マスメディアにおける扱いが小さくなっただけの話で、コツコツ活動している行政・立法関係者や企業やNPOや一般人などはたくさんおられるのだろう。
それにしても今年の冬は寒そうだ。
寒そうと言えば、彼だろう。
総裁就任数ヶ月前、麻生太郎さんの人相が激変した。そして首相就任後さらに変化した気がする。
おめでとうございます。そしておつかれさまです。ということだろうか。
将棋には「必死」という状態があるということをふと思い出したり。
ところで「詰み」まで指し切るプロ棋士っているのだろうか。
一国の首相というのは本当に大変な仕事だと思ったり。
それはいいとして、「総選挙はしない」とツンツン突っぱねたり、定額給付金をデレデレ撒き散らそうとしてみるあたり、自称アキバ大好きというのは偽りではないのだろう。嘘のない政治家。大変結構だ。
政治家と言えば、
少し前から、日本においても「国益」という言葉を当たり前のように使うようになった気がする。
儲かりすぎても儲からなさすぎてもよろしくない。ほどほどがいいと私は思う。
そういえば、他人のことを考えず、自分の都合だけを考えて行動することを「わがまま」というそうだ。これはご存知のように子どもに見られる典型的な行動のひとつである。それに対して、豊富な知識と豊かな想像力と共感する能力を兼ね備えた大人の場合、他者(他国)の利益(国益)にも配慮してうまく生きられるようになる。んだった気がするのだが、どうやら私の記憶違いだったようである。まだまだ未熟な面もあることを認識し、皆で少しずつ成熟していけばよいのだろう。私は基本的には、長いタイムスパンで人間の歴史を見たとき、確実によい方向に向かっていると思っている。例えば、イギリス産業革命当初には今のような労働基準法はなく、劣悪な労働環境で働いていたようだし、つい数十年前まで日本人成人の全員には選挙権はなかった。奴隷という身分が制度上廃止されたのもつい最近のことだ。着実に一人一人の人格が尊重される方向に人間社会は向かっていると思う。だから、人類が未だかつて達成したことのない戦争の高度な抑制も、いずれ達成される日が来るのだろう。今の日本で一般人が武器も持たずに安心して歩けることをあたり前のこととして受け入れているように。一歩一歩、知恵を駆使して丁寧に進めていければ未来はさらに明るくなるだろう。
明るいと言えば、
オバマさんの就任はおめでたいけれど、同時に少し悲しい気持ちにもなった。
気にしていないことは意識に上らない。だからそれを語るはずがないだろう。
白人黒人とあれだけ騒ぐということは依然アメリカ社会には根強い差別意識が残っているということだろう。
それでも多くの黒人の方からすればきっと本当に喜ばしい記念すべき日になったのだと思う。
いろいろあったから。
この点に関してはアメリカにとって大いなる前進とみなしてよいだろう。
以前、オバマさんの「合衆国再生」と言う本を少し読んだのだけれど、彼の場合、本当に自分を客観視できる方だということがわかったし、スピーチを見ていてもそのことは明らかだろう。もし彼が率直に書いたのだとすれば、誠実さを感じたし、高い論理性とバランス感覚を有しておられるし、異なる価値観を持つ人に対し主体の関与を通して理解しようとする態度(つまり聴く態度)も持っておられて*1、そういう点ではリーダーとしての資質を十分に備えた魅力的な方に映った。具体例を引くのは面倒だから、ぜひ読んでみてほしい。安倍晋三さんの「美しい国」と読み比べをしてみるのも面白い。
ちなみに私は「明白な運命」により福井県小浜市に誘われ「オバマまんじゅう」を入手してしまった。
私が小浜市に行くことは運命によって定められたものであり、アンドリュージャクソンとかいう人の言う「自由の領域」を広げる神の計画の一部であるという確信に基づくものであるはずだ。決してミーハーだからというわけではない。
それにしても明白な運命。たとえ冗談であっても、今の日本でもしこんなことを言う人がいた場合、なんすかそれ、でおしまいな気がする。いろんな脳のあり様があるのだろう。アメリカ政府に限ったことじゃないけれど、中国政府がチベットに対してしていることを手放しで批判できたもんじゃないだろう。自分(自国)のステキな物語を編むのも結構だけれど、しっかり自分の過去を見つめることも大切だろう。別に正当化することだけが重要なことだというわけではない。そうすることにより失ってしまうものも多い。
ところで
大統領選終盤になるにつれてマケインさんのおめめがどんどんかわいくなっていったのはなぜだろう。
かわいいと言えば、今回の金融危機は、以下の観点から見た場合、とりたてて騒ぐほどのことでもないだろう。
つまり、今回の金融危機で知識の蓄積が途絶えたわけでも、食物や製品の獲得・生産技術が衰えたわけでもない。何かと極端な理論や思想がもてはやされるけれど、ほどほどがいいというのがたいてい場合の落ち着きどころであり。
人類の安定した文明生活を脅かす因子として、最も警戒すべきことの一つは人心が乱れるということだろう。そして、食料が欠乏したとき秩序が崩壊する(人心が乱れる)ということは歴史上幾度もあったようだ。食べ物がなければ人は生命を維持できない。そういうことをふまえて考えれば、個々および集団がどういう生き方をすればよいのか、どういう制度設計をすればいいのか少しは見えてくるのだろう。多くの人が地に足つけて生きていれば、少々のことで動じることはない。根無し草が多すぎると時に危ういと思う。
根無し草といえば、小室哲哉さんの今回の一件で、かすかにあったかもしれないバブルへの郷愁が完全に消え去った気がする。
豪勢だけれど空虚な根無し草のあの時代の空気より
地味だけれど地に足つきつつある今の雰囲気のほうがどちらかというと私は好き。
軽やかにして虚しいメロディに心が荒む。
しっかりと「反省」をした後、この経験を活かして、これまでの名曲とはまた違った味わい深い曲を今後きっと作ってくださると思う。けれども、「反省」は事の根が深い場合にはなかなか難しいことだと思う。ここで言う反省とは、ただ「悪かった」「よくないことである」と認識することではない。なぜこうなったのか、いろんな地点に遡って分析し、各地点において、こうならないためにどうすればよかったのかを考える。そういうプロセスを経ることで、自分が変わり、知恵を獲得すると共に、過去をありのまま「運命」として受け入れ、自我で引き受けることができるようになるのだと思う。そういうプロセスを経て得られた普遍的な知恵は、自分だけでなく同時代および未来の他者にとっても有用なものになりうるのだろう。これが失敗から学び知恵を蓄積し、継承するということだろう。
しばらく同じようなことを書き続けてきましたから、少し飽きてきました。みなさんも飽きているのだとすれば、申し訳ないことだと思っています。けれど、「明白な運命」により、個人的体験に上で書いた意味での「反省」を加えないわけにはいかなかったのです。ずいぶん作業は進みましたが、もうしばらくそれは続くかもしれません。
私の今年の一文字は「省」でいいでしょう。
みなさんにとって今年はどんな一文字だったのでしょうか。
私の来年はどんな一文字になるのでしょうか。
みなさんの来年はどんな一文字になるのでしょうか。
楽しみでもあり、少し不安でもあり。
*1:彼の言う「エンパシー」はどの程度の範囲まで及ぶのでしょうか。注目しています。