賢いということの一例としての軍隊式教育からの脱却――スパルタは心身および組織の慢性的硬直を招くリスクがある

賢いとは


賢いとはどういうことだろう


たいてい

こういう問いに真正面からぶつかると

ほとんど役に立たない美辞麗句を並べることに

終始してしまうのがオチである


そこでここでは

賢くないパターンを検討することにより

すなわち反面教師を参照することで

消去法的に上記命題への接近を試みる


その場合の解答はもちろん

「少なくともこういう人は賢くないよね」という語り口になるわけで

「賢いイコール何々である」

という単純明快な必要十分条件は得られない


そもそも賢いとか幸せという概念はその性質上

過不足なく一文で語ることはできないと思われる

少し勇み足かつ詐欺師的な語り口で言うとすれば

ホメオスタシスの崩れ方のレパートリーが無数に存在するということだろう

だから、賢くない具体例を把握し

その解決策をひとつひとつ検討していくことが

私にできる有効な方法であると考えている


賢いということの一例――身体や組織の慢性的硬直を防ぐ方法


例えばこんなパターンの人は賢くないだろう



他者の言葉を鵜呑みにして

あるいは

個人的感情に囚われて

己の権力を盾に

聞く耳持たずに部下に対し非難や恫喝をしたり

暴力を振るって

一向に反省の見えない人


つまり「裸の王様」の典型である


こういう人が権力者(や親)になると

部下(や子)の多くが恐怖のため保身に走り

裸の王様はますます孤立化し

ついには国や組織が滅びる

こういうことはよくあるだろう



物語のように「王様は裸だよ!」って

叫んでくれる子どもがいればいいけれど

その子どもをすら罰してしまわないとも限らない


こういう人は賢いとは言えないだろうし

こういうシステムの状態は好ましくないだろう




以前、登山道にて偶然出会った戦争体験者の老人と話す機会があった


「自分は自ら志願して特攻隊に加わった

戦闘機の操縦は離陸時は簡単だけど着陸時が難しい」


こんな話をしている途中で、急にその人の目の色が変わった


「部下に暴力を振るいまくっていた上官が

戦場で前線に立ったとき

背後にいた部下全員が示し合わせて弾を打ち込み射殺した

あんなやりかたでは局地的にも大局的にも戦争に負けるのは当然だ

恐怖で組織をまとめようとするのは誤りである

もっと部下を大切にしてやる気がでるようにしなければならない」


その人は語気を荒くして、深く真面目な眼差しでそう言った


敗戦後、シベリアにて、ある階級以上の人は、ソ連軍により

他の日本人兵士を強制的に呼び寄せた後、その眼前で縛られて射殺されたという

シベリア抑留体験がどのようなものであったか、つらかったのかと質問した*1時の、

深くて長い沈黙が印象的だった




この例にかぎらず

恐怖政治の果てに

独裁者が側近や被支配者に殺害されるというパターンが

歴史上幾度も存在する*2




支配者や指導者や親が自分の命や地位が危ういと感じるときに

言い換えると 彼の心身が硬直しているとき*3

こういうことは起こりやすいのかもしれない

人間は基本的には生きたいし見栄を張りたいのである*4




恐怖政治(軍隊式支配・教育方法や今で言うハラスメント)の最大の欠点のひとつは

その組織に属するあらゆる人々の(集団的な)「心身の慢性的硬直」を招きがちである

ということにある

ここで言う心身の慢性的硬直とは例えば

こころがこわばり 思いやりのこころや感性が衰弱してしまうと同時に

無意識のうちに体の各部がりきんで力の入った状態になってしまっていることを言う


心身が慢性的に硬直してしまうと

ストレスに対して脆弱になるし

合理性判断をしたり

良好な人間関係を構築するためのパフォーマンスなども

著しく低下する


特に、集団的に心身が硬直*5してしまうと、戦争に急激に接近してしまう

これが最も危ない


だからもし戦争をしたくないのなら

その必要条件として

国民(人間)一人一人が、表現者が、ジャーナリズムが、心身の硬直を招かぬよう

常に注意深く自己や組織をモニタリングしておくことが好ましい

言論の自由をやかましく主張する意味のひとつはここにあるのだろう

ただし、その主張している時に心身が強ばっているのは好ましくない*6



さらに軍隊式支配・教育方法の欠点として

軍隊(的方法)はその性質上画一的であることを求める(あるいは陥ってしまう)ため

個々の創造性が抑制されてしまうということが挙げられる

これは現代においては大きなデメリットだろう



そして、当然のことながら

上のような状態は誰も「幸せ」じゃない



ではこうならないためにはどうすればいいのか


硬直の連鎖を断ち切ればよいのである



人はしばしば

自身の受けた理不尽な仕打ちを

部下や後輩や子に対して行うことがある



理由のひとつには

虐待や暴力、ハラスメントなどに対し

たとえ当時どれほどの理不尽を感じていたとしても

(あるいは感じていなかったとしても)

時間が経つと、今の自分があるのはあの時の「おかげ」であると

「合理化」してしまうクセがあるからであろう*7


こういうふうに現在の自我が納得する物語を編んで

前向きに生きるのである


そうしないと認知的不協和に陥ってしまってつらいからである

(けれども本当はそれを乗り越えたところに幸せは存在する)


そして、そのような物語を編んだ人は

自分が受けたのと同じことを良かれと思って

後の世代に対して行うのである*8


あるいは

自分が受けた理不尽や抑圧のはけ口として

意識的に、または半ば無意識的に

後の世代に対して行うのである



もうひとつの理由として

自分が受けたような軍隊式教育以外の方法を知らないから

よほどこういう罠に自覚的でなければ

他の方法に気づきにくいため

いざ自分が指導者や親となったとき知っている以外の方法を実行できない

ということが考えられる*9


つまり

無知による愚

ということである



こんなパターンもよくある


自分の能力に自信がない上司や指導者や親の場合

部下や生徒や子に恐怖感を与えることにより

話しかけたり質問したりしにくい状況をつくり

押さえつけて支配し、自身のプライドや地位を守ろうとすることがしばしばある



また、ストレスで心身が硬直してしまっている指導者や親の場合、

ストレスのはけ口として、部下や子にあたってしまうことがよくある


一見怖そうに見える先生や親にこれら二つのパターンが多い

(こういう状況において具体的にどうすれば上のようなことをしなくてすむのかは後日詳述する)

おそらく

このようにして硬直は連鎖するのである



まずは

こういうことを「自覚」しておくことが

賢くない生き方の連鎖を断ち切るための

ひとつのアプローチとして有効だろう

自覚により

脳内の潜在的プロセスを顕在化させるのである





第二次大戦から60年以上が経った

そんな現代の日本においても未だに

旧式の軍国主義的支配・教育法から脱することのできていない化石のような人が

存在する



繰り返すが

脱却するためには

ひとつには

密接に関わり合っている心と体のこわばりを同時に解き

自身の心身をやわらかくすることが肝要である


換言すると

知性と感性を豊かに育み

生命のバランスを整えることが大切である

(そのための方法は後日詳述する)



そこにこそ個々の幸せと平和は存在するのである




現代においては

他者に対し暴力を振るう個人を個性として認める文化は瀕死状態にある


同様に

現在受け入れられている言動や自我(心身)のあり様の中には

未来の人間から見れば

智慧のない野蛮人の行う行為やあり様も含まれているのである



倫理観というものは

時代と共に変化していくものである



それでも旧来の軍隊式教育に郷愁を覚える人がいるのならば

いや、いなくても

「ゲーム化」すればよいだろう。


たとえば、現代において、かくれんぼや鬼ごっこ、格闘技などは、野生時代の人間にとって必要不可欠であったろう、逃げる、隠れる、追いかける、闘うといった能力を開発、維持し、人間の本能的欲求を安全に満たす役目を担っている

それらの能力はきっと現代人がうまく生きていくためにも必要だろう


同様に、恐怖に対してリラックスした状態で対応する訓練をゲームを通して行うことは

うまく生きていくために有効であると思われる

その一例として、武道やある種のお笑いというものが存在しているのかもしれない


ちなみに

今の行き過ぎたマネーゲームなども「ゲーム化」してしまえばよいと私は思っている

リアルの世界では不必要になったり、用いないほうがよいもので、かつ、その能力自体はある程度維持したほうがよいものはゲーム化して残せばよいのである

*1:単刀直入に聞いてしまう私のデリカシーのなさについては棚に上げておきましょう。

*2:上記の体験談が真実かどうかはわからないが、上の例に限らず存在するだろう。

*3:必要条件の一つとして。

*4:独裁国家を無血で民主化するための鍵のひとつはここにあるのでしょう。歴史を遡ると、見苦しい独裁者は山ほどいるようです。でも殺されるのはやっぱり怖いし嫌だものね。わかりますよ。だから往生際が悪くなってしまい、多くの民衆の命が犠牲になると。

*5:たとえば、大本営発表や北の方の国の国営放送の口調が一つのサインでしょう。

*6:他の例として、「戦争反対」と「クソ真面目」に言うのはあまり好ましくないでしょう。できれば誠実にユーモラスに語れるほうが安全でよいでしょう。ダライラマ14世という方のあり様は理想的な形のひとつだと思います。

*7:「あの一件があったのもあり、私は今のようになった」という「因果」は存在しますが、それを「あの一件があったおかげで、私は今のようになれた」と相手に感謝してしまって、因果と感謝を混同してしまうのは愚かでしょう。わざわざ招かなくとも、あるいは他者に与えなくとも、人生にはたくさんの困難は訪れてくれるものでしょう。例えば、奴隷制度のない社会においても、あるいは、暴力が法的に禁止された社会においても、様々な苦難や理不尽が存在するように。従って、よりよい社会を志向し、より高い次元での困難と格闘することが大切でしょう。

*8:しばしば年配者が犯しがちな、普遍性のない経験則の一般化の典型例でしょう。

*9:「自分はこういう教育を受けたから、他人に対しても同じ教育をする」ということの論理的必然性はありません。