駄作である私――学問って死の準備のことなのかもしれない

子曰く

古の学者は己の為にす

今の学者は人の為にす



ぼくは

孔子の言う意味での古の学者でありたい


つまり

外だけを向いた学問ではなく

内を見つめる学問

ここでいう学問とは「いわゆる学問」より範囲は広い

生き方と言い換えてもよい


内を見ることで 

外もはっきりと見えるようになるし

外を見ることで

内の輪郭がより明確になる

外だけ見ようとしても見えないし

中身がスカスカになってしまう

端折ってはだめだ

目前の取るに足らない波に惑わされる必要はない

軸のぶれない本当の学者になりたい

本当の意味での古風な学者になりたい


現在

ぼくは相当の駄作


駄作から名作になる過程にこそ

生の充実はあるし

その過程で生み出されるものに

価値は宿る


そういう意味では

駄作にはたくさんの波乱や感動 可能性が潜んでいる


名作とは凡人のことである


凡人は変化し続ける理想的なかたちである

そして常に凡人であるならばそれは死そのものである

つまり名作への道とは終着点のない死への道である

けれども

そんな死に方こそ本望だと思ったり

学問って

死の準備のことなのかもしれないね


駄作には駄作の味わいはある

しかし

駄作はひとに不快を与えかねないし

駄作自身がなによりつらい


ピカソのハトのような

かたちを目指したい