木の葉

ドライバーが走らせたくても

走らない車があるかもしれないし

走らせたくないのに

勝手に走ってしまう車もあるかもしれない


車にとってドライバーとはなんだろう

ドライバーにとって車とはなんだろう

あなたが気づかないうちに

ドライバーが二人以上乗っていたらどうだろう


車は勝手に走らない


生きることが義務だと感じられるとき

理性はあなたに死を命じているのかもしれない


けれども

大多数の生き物は 観察事実として

なんでもありで必死で生き延びようとする

植物 ひとを含む動物 昆虫 あらゆる生き物がそう


だから

そう簡単に理性の命令は通らない





希少価値で言うと

死なないのがすごいというよりかは

自分で死ぬというのは稀であり 

すごいことだろう

そのへんを掘ると 何かがあるのかもしれない


大きなものの存続のために

小さなものが犠牲になる


キルケゴール

各世代に少数の犠牲者が出ると言ったのは

被害妄想ではなく

彼の感受性の鋭敏が捉えた

この世の成り立ちの秘密なのかもしれない

ことばがとめどなく降ってくる

哲学者とは

そういう体をもってしまったひとだろう


最近の人間は これまでの人間に比べて

生きることにこだわりすぎているのかもしれない

おそらく 

自我のありようが 

ここ数百年で大きく変わったのだろう


こういうことは

ひとりの人間が

大きく異なる脳の状態を体験しないとわからない

おそらく

同じような脳のあり様にならないとわからないことは

無数にある

自我を壊していろんな脳のあり様を体験したひとを

深みのあるひとと言うのだろうか

ひとりの人間でさえ

昨日の自分とまったく異なる景色が見えることがあるのだから

ひとそれぞれ

見えている景色は恐ろしく異なるのだろう




寿命があって本当によかった

寿命があるからなんとか生きようという気にもなる

おそらく こんな感じ方のひともいるだろう


嬉しくても

悲しくても

つらくても

美しくても

生きて感じることは とにかく疲れる

これが永遠に続いたら

身が持たない

こういう

植物の生命力に気圧されるくらいに

鋭敏すぎるかたちのひともいる


鈍いということは

特に現代の都市で適応して生きていくためには

重要なことなのだろう

都市とは

鈍いひとが住むところである

だから

鋭敏な感性を有するひとは

生き辛い

けれども

そういうひとは

時代の盲点を見抜く力を持っている


しばしば

自分が平均寿命程度は生きると思ってしまうけれども

平均はあくまで平均にしかすぎない

ひとりひとり

死へのカウントダウンは着々と進んでいる

あなたのシステムがどのような崩壊の過程をたどるのかは

わからない


水が足りなくて干からびてしまったり

捕食される木の葉もあれば

冬が来て枯れ落ちる木の葉もある

自死も事故も病死も老衰も

同じものとして捉える

そんな視点も大切だろう


37歳で自死を迎えたゴッホ

どんな木の葉に見えたのだろうか