しんぱい


過去を振り返ってみてください

どんなときに本気でひとのことを「心配」しましたか

そのときの心配ってどんな気持ちでしたか




こんなことって

あてはまりませんか




今まさに

ほんとうに心配してくれているひとは

「心配している」とは言わないことが多い




たいして心配してないひとにかぎって

「心配」という言葉を使う




どうですか




もしそうだとすれば

たいして心配していなくて

社交辞令を重んじる狡猾なエゴのひとは

こういうときには心配しないと

って強く思うから

「心配」って言ってしまうのでしょう




意識しすぎて

墓穴を掘る




心配してるかどうかなんて

顔に書いてありますから

ご丁寧に偽装していただかなくともよいですよね




そんなひとには

この詠み人知らずの詩を捧げましょう




しんぱいすることに

しっぱいしているきみよ

きみはすっぱだかで歩いているようなものだから

もうすこし恥ずかしがりたまえ


あるいは

もう少しマシな役者になってみたまえ




人間はひとりひとり違いますから

同じ「心配」という言葉に相当する感情でも

ひとそれぞれ

さまざまな強度があるのでしょう




おそらく

エゴが薄れ

思いやりのこころが育まれてくると

ひとのこころの機微を捉える力が高まります

だから

見抜く力も

演技力も高まります

けれども

思いやるこころがあるわけですから

演技する必要がなくなってきます




面白いですね




一連の体験を通して

ぼくは

心配という言葉は

主に説明のための言葉であって

心配しているこころを表すときに

直接贈る言葉ではないということを

学びました




こころの伴っているひとが

贈ってくれる言葉は

たましいに届きます




言葉を用いずとも

表情ひとつで

こころを深くマッサージしてくれるひともいます




ぼくは

誠のあるひとが

好きです




花実相兼でありたい