ハーフマラソンで事故った!

okayasukenji2007-03-11



 口から単気筒から CO2を排出しまくりながら 京都議定書ラソン集合場所に向かった。


 京都議定書ラソンとは 各々の国が 各々のペースでCO2(二酸化炭素)削減に取り組みましょうという 京都議定書になぞらえて 各人が 各人のペースで 記録にとらわれることなく 完走しましょう。そういうコンセプトで企画された大会である。


 アメリカは マラソンのどこが面白いんだと言う。Qちゃんに教えてもらえばよかろう。代わりに僕が教えてあげてもいい。運動をしないと 内部が不健康になるし イライラがたまって まわりにも迷惑をかけてしまうからだ。


 僕の最大の目的は ハーフマラソン約21キロを歩かずに完走する。これなんだけど できればサブテーマ的なものが欲しい。結局見つからないまま スタートしてしまった。


 未知のキョリだから ゆっくり行くことにした。後ろからどんどん抜かされていく。ヒトはなぜだか 抜かされるとあせったりムカついたりする。しかし 我慢する。ここで 最初のサブテーマは「自己抑制」だということがわかった。要するに 馬でいうところの 折り合いをつけることに専心した。前にペースの遅い馬(ヒト)をおいて ひたすらたずなを絞る。自分の心地よいペースより 遅く走るとストレスがたまる。しかし、そうすることにより 自分の体や心と コミュニケーションする 余裕が生まれた。


 マラソンとは 決められた距離を 他者よりできるだけ速く走りきるものである。


 それにしか目が向かない時 抜かされることによる心の乱れが生じる。それは 一つの文脈でしかない。人間の一生における 走破距離や制限時間 目的地は人それぞれで どういうペースで進めばいいのか 正解はわからない。大勢のペースに合わせて 同じような目的地を目指すことが 有効な生命戦略の一つだろう。自分だけ 異なるペースで 走るのは 勇気がいる。ましてや 異なる方向に進むとなれば なおさら勇気がいる。「みんな同じ方向にできるだけ速く走る」そういう文脈しか見えないヒトは 同じ方向にゆっくり走っているヒトや 違う方向に走っているヒトを見て サボりと呼ぶ。そうじゃない。サボリとは 生きることに真剣じゃない そういうことだろう。


 僕にとっての 今回の旅の目的は 自分の体の微妙な変化とクセを感じ取ること。さらに 制限時間3時間以内に完走し かつ いかに多くのアイデアを得るか ということに設定された。


 普段よりゆっくり走ると 普段つまずかないような小石につまずく。小石がそこにあるということに気づく。


 つまづきとは気づきである。


 ゆっくり歩むことでしか 拾えないダイヤモンドもある。

 
 マラソンと 武術は 同じである。自分の体と ココロと対話する。同じ動作を ひたすら繰り返すことで 見えてくるものがある。少し肩に力が入っている。股関節から悲鳴をあげだした。おなかが急にへってきて。アイデアが 次から次へと 頭の中を 駆け抜ける。   

 
 賀茂川沿いは ケヤキがほんとにすばらしい。「理想の体型」をしている。幹も枝っぷりも共にすばらしく 雄大にして繊細。空間にできるだけ多く 接していたい。そう思わせる細かい分枝。まるで握手を求めているようである。彼らをムヤミに切るのは止した方がいい そう直覚した。コミュニケーションとは 非平衡な系の中で 必死に安定化しようとする そういう 安定化への志向の表れではなかろうか。


 そんなたわいもないことを考えながら ふと周りを見渡すと 誰もいない。こうなると 完全に我が道を進むモードに突入した。


 そういえば フランス現代思想と 合気道をやっている 内田樹というヒトが 天下無敵とは 敵を全滅させうることではなく 自分には敵というものがいない。そういうことだと言っていた。つまり 私と相手を 二つの頭と8本の手足をもった複合体として見る。この怪物の運動法則を知って その動きを統御できるなら もはや相手と自分を区別する必要はない。武道とは すべてのヒトと複合体を作ることができる そんな能力だと 彼は言う。

 
 武道とは 弱肉強食の市場原理に対するアンチテーゼである。

 
 こういう見立ては 数百年後には より進歩したかたちで 「常識」になっているだろう。

 
 将棋において 3七に桂馬がいるのが 最適かどうかは 他の駒との 位置関係で決まる。決して 3七にいることが 絶対に正解ということはない。

 
 中庸とは つまり そういうことだろう。

 
 生きるとは 刻一刻 他者との関係性を動かして つくりかえていく そういうことである。自分がどう動けば 複合体の運動が どう変わるのか そういうことに 興味がある。

 
 お医者さんは ひとりの命を救うことにより 地球の裏側の 別のひとりを殺しているかもしれない。

 僕は お医者さんには 何回もお世話になっていて ほんとうに感謝している。すばらしい仕事だと思うから ヒトを健康に導くことを 否定しているわけではない。
 
 しかし 構造をつかむことは それとは別問題である。平和を実現したいのなら そういう視点が 必要だと思う。

 
 google earthのようなモノが進化して リアルタイムで 地球のダイナミクスを 俯瞰することが 可能になって はじめて見えてくるものがある。早送りしてみて はじめてみえるものがある。そう信じる。

 
 今は 庶民の立場では まだ無理だから 山に登って タワーの上から 時には飛行機から 眺めることで 我慢しようか。

 
 ゴールして ああ よかった よかった と何度もひとり言を言った。


 直後に 図ったかのように 雨が降ってきた。 


 全身 恐ろしい激痛と倦怠感。階段を 下りることが出来ない。


 これは疲労ではなく 事故だと思った。


 僕は 事故に遭った。