鬼は外 福は内
の結果が環境問題ということになる。
昔はそれでよかった。
けれど、エゴの人でやっていくには人間は力を持ちすぎた。
権力を持ちすぎた。
外に出て行った疎外された鬼は外で悪さをするかもしれない。
それに、鬼もつらかろう。
福を独り占めしたら足りない人が出てきて困るだろう。
地球上に 福と鬼 それぞれの濃度ムラがあってもいいし、ゆらぎもあってよい。
けれども、キョクタンはよくないと、節分の日に思ったり。
鬼は外 福も外
鬼は内 福も内
これがいい。
出たり入ったり。
オープンであればよい。
動物や植物、地球に存在する様々なものに対して
思いやりを持って生きる。
現代ほどこの能力が必要な時代はないと思う。
ココロが伴っていないと応用が利かない。
思いやりのこころと論理性を駆使しないと
滅びる状況になってきているのかもしれない。
「儲けて何が悪い」
こういうことを言った○○ファンドの某さんのような人を
エゴの人という。
幼稚な考えで、とてもダサい。
観点がひとつしかないのがダサい。
目の前に大好物の牛がいたから
全部殺して独り占めにして何が悪い。
こういうことを言う人をエゴの人という。
金があって教養がないのが一番醜い。
とても悲しいけれども
敵視することはない。
それでは、相手の土俵に乗ってしまうことになる。
鬼は外、福は内ではダメだ。
彼にも生い立ちがある。
なぜそういうかたちに至ったのかを掘り下げればよい。
我が愛する阪神タイガースをおもちゃにしたから
言っているわけではない。
わけではない。
ただ
我が阪神タイガースだけには
福よ来たまえ。
来たまえ。