21世紀の日本人の英語の学び方

今後 英語がリンガフランカとしての役割を担っていくのだとすれば*1

現代の日本は

彼らの祖先が かつて漢字を輸入したときのように

日本の文化のエッセンスを混ぜこんだかたちの

新しい日本語や英語が作り出されている

明治以降の大きなうねりのただ中にあるのでしょう


日本には 長い年月をかけて培われた特色ある文化があり

欧米人をはじめとするひとびとの盲点が その中に多く存在する

このことは ヨーロッパ各地の文化と日本に住む彼らの関係にもあてはまる

つまり 日本以外の文化の中には 日本人にとっての盲点が存在する

アメリカは若いから 年寄りにはないすばらしい元気さがある

アフリカやインドの多様な文化には 都市に住む人間の盲点が多く存在する

それぞれ 学ぶところが多くある


例えば

日本語において

主語が消えるというのは 単なる省略ではない

それは 英語圏の人々とは異なる自我のあり様を意味する

これはほんの一例にすぎない

文化の表れである言語は本質的に翻訳可能ではない

だから それぞれ どのような特徴や盲点があるのかは 

体験をとおして掴み取ればいい

聞きかじりでは ほとんど意味はない

体を通して生まれたモノにのみ 真の価値は宿る

現状における日本語と英語は異なる人格である 


日本人の英語の話し方を 欧米人のようにしなければいけないという決まりはないし

文法を変えてはいけないという決まりもない

事実 言語は常に変化し続けてきた


彼ら日本人は英語と折り合いをつけながら 

残すものは残しつつ 変わっていけばよいし*2

欧米人のこころのあり様にも影響を及ぼしていけばよい

コミュニケーションは相互に影響を与え 与えられる

双方向のものであるのが望ましい

他国の言語を学ぶということは

その土地で生まれ育ってきた全ての人の人格を尊重することに等しい

けれども

現状 モチベーションの高い日本人英語学習者の数と比較して

おそらく モチベーションの高い欧米人日本語学習者の数は少ない

だったら 

ここはひとつ 

積極的な欧米人の良さを見習って

相手に主体性のない場合には

おせっかいにも 彼ら日本人から出向いていけばよい

やわらかい英語をさえずりながら

日本人のひとりひとりが「宣教師」になってはいかがでしょうか


日本人の多くが この言葉に大きな抵抗を感じるのではないでしょうか

それは ここに滑稽なパラドックスが潜んでいるからだろう

つまり

日本の文化を愛するあまり饒舌になる欧米の方が

しばしば最もこれまでの日本人らしくないという滑稽さに通じるのだろう


要は言葉や文化というものを固着させないことが大切で

英語を母国語としない日本人は

どうせ英語を学ぶのなら

ただまねるだけでなく

人格として取り込み融合させる気概をもってはいかがでしょうか

ちなみに この言葉は 「宣教師」になれというのを言い換えたにすぎない


もちろんこれは 英語に限ったことではない

自国の古語や文化に触れるときにも 同様の態度が必要である

例えば

日本人が縄文時代平安時代の文化に接する時には

彼らの盲点がそこにあることを期待し

自我を壊して飛び込んでいく覚悟が必要である

自我を壊す覚悟とスキルこそが 

他者の人格を尊重するということである

これまでの日本人にとって「宣教師」になることは

ここで言う人格の尊重の一形態である


人格の尊重はなかなか難しく

多大な訓練を要することである

自国の文化をおろそかにして

ただまねるのが一番よくない

歴史は断絶してはならない

断絶すると浮き足立つ


ペラペラになってもいいけれど

ペラペラになってはならない


だから まず

日本人は自国の文化を見つめなおす必要があることは言うまでもない


滑舌のよい前ノメリの英語ではなく

やわらかいそよ風のような英語

そんな言語があらわれてもいいし

その限りでもないだろう

*1:今後、これまで隔離されていたクラスター間のコミュニケーション頻度は格段に上がる気がしますが、実際には、世界が英語一色で染まるようなことにはならないでしょう。理由の一つとして、翻訳ツールの性能の進化との兼ね合いで、どれだけ各国に英語が浸透するのかが、変わってくることが挙げられるのではないでしょうか。それに、仮に世界中が英語一色になってしまった場合、種として極めて脆弱な状態に陥ってしまうことが危惧されます。言語の多様性は、世界の捉え方や生存戦略の多様性の反映だと思うからです。もし将来、単一言語的状況に近いものになったとしても、どんどん方言が生まれ多様化する方向に言語は発展していく気がします。

*2:例えば、日本語の発音をいじってみるのも面白いのではないかと思っています。子音や母音の少なさが、日本人の英語学習の際のネックの一つであるのならば、英語の音素を取り入れた日本語を作ってみても面白いかもしれませんね。ほんの思いつきですので深く考えてはいませんが・・