真面目と笑い


 フレーム化して、つまり、ゲームの世界で人生を遊んでいる人は、真に生きている人ではない。つまり、苦しみも小さいかわりに喜びも小さい。真面目とフレーム化のいたちごっこにこそ、生の苦しみと喜びはある。野生の動物の多くが美しく見えるのは、たぶん、生死のかかった真面目の中で、毎日をアクセル全開で生きているから。飼い慣らされた生き物には、かわいさは感じても、美しさや情熱を感じない。ペットでも人間でも。アフリカの食べもののあまりないところに住む人たちが、輝いて見えるのはそういうことだろう。それに比べ、日本人の目のいかに死んでいることか!以上のような見立てからすると、常に笑いだけの人、つまり、フレーム化した世界の中に安住し続けるひとは魅力的ではない。笑いを逃げに使っている感がある。お笑い芸人のことを言っているのではない。松本人志さんは、真面目とフレーム化のいたちごっこスペシャリストだろう。人よりフレーム化のスピードが圧倒的に速い。これは、「生命力がある」ということだろう。だから魅力的なのだろう。おもしろい男がモテるというのは、このことに起因するところも大きいと思う。

こんなことを真面目に書くぐらいに私は真面目。自分でも驚く。真面目も突き抜ければひとつの芸だろうと、最近では開き直っている。真面目だと、生の充実を獲得でき、いつ死んでもいいと思えるのがひとつの長所だと思っている。そのかわり、苦しいけれど。野生動物とたぶん同じ。いや、彼らはいつ死んでもいいとは思ってないかな。そう言いながらも、いざ自分の身に危険が迫ったとしたら、それはもう、恥ずかしい格好であたふたしながら逃げ惑うのだろう。そういう、本能的な話とはまた違う話。

勢いに任せて書きなぐってしまいました。読んでくれた皆さま、不親切でごめんなさい。