ブログの利用法――ブログは常に進化していく生きた本である(2009/3/28改稿)

◆はじめに


ブログという画期的なツールが普及して何年経つのでしょうか。

アチェンジできることを知らずにローギアのまま走っているという気がしないでもありません。つまり、ブログというツールに、どのような可能性があり、どのくらいのポテンシャルを秘めているのか、私はまだ十分に把握できていないと思われます。


◆ブログを書いている理由と使い方の可能性


私がこれまでブログを書いてきた主な理由は、おそらく自己紹介に書いたようなこと*1だと思われるのですが、最近では、

「まだ考えが全くまとまっていなくても、とりあえずメモ形式でもいいからアップしてしまう」

という使い方もアリだと思えてきました。そうされているかたも現にたくさんおられます。

このようにするメリットは、思いつくかぎり三つあります。


◆自身の思考の整理と自身のアイデアのブイとしての役割と情報交換の可能性


一つ目は、とりあえず、書いてアップしてしまうことにより、まとまっていなかった考えが整理されてきたり、足りないところが見えてくることがよくあるということです。参考文献や今後の課題をメモしておくのもアリだと思っています*2。同じ興味関心を持つ方が有益な情報を提供してくださることもあるでしょう。


◆表現にあたってのハードルを下げ、気軽に伝えることに挑戦できる


二つ目は、他者に伝えたいことを披露するにあたってのハードルを低くできるということです。記事の内容によっては、まとまった形に仕上げるのに多大な時間を要することもあるでしょう。途中で挫折してしまってupしないまま放置してしまって、最も伝えたいことを伝えられずに忘れ去られるくらいなら、「建設中(under construction)」とタイトルや冒頭に記した上でupしてしまったほうが、伝わる可能性は当然高いはずです。ブログの長所の一つは、本などの堅苦しくハードルの高い表現媒体とは違い、表現にあたってのハードルが低いことにあるでしょう。必ずしも整った記事の形式になっていなくとも、有益な情報が伝わるということは十分にありえます*3。我々素人にとっては、本はもちろんのこと、ショートエッセイのような形のメディアにおいてさえ、プロと同等の仕事をすることは至難の業でしょう。けれども、たとえ文体や構成が拙くても、内容自体に価値があったり、キラリと光る一文だけでその存在価値を有する文章というものはあるでしょう。極言すれば、特に短いコンテンツになりがちなブログのようなメディアにおいては、何か一つでも他者の心に残ればその文章の存在価値はあると思うのです。


◆さらしつつ加筆、推敲を重ねるという新たな表現媒体


さらに、一生、under construction 状態でupしたまま、気が向いたときに加筆、推敲をし続けていくという使い方*4もアリだと思うのです。ゲーテファウストを一生かけて推敲し続けたそうですし、宮沢賢治銀河鉄道の夜を数年間に渡って推敲し続けていたようです。彼らがどのような方法で推敲していたのかは知りませんが、ITの普及した現代と比較して気の遠くなるような労力を要したことは容易に察しがつきます。彼らに比べれば、現代の我々はその作業効率において格段に恵まれているように思われます。もちろん私はゲーテではありませんが、それでも、自分なりの思考を深めていくために、上のような方法でもプログを利用していこうと思っています。未投稿になるくらいなら、なるべく早くたとえ不完全な形であってもよいから伝えたいことをupすることにより、伝えることを試みながら、気が向いた時に改稿を重ね続ける。そういう日常会話と化粧された文章の間(あわい)の役割を果たしうる「軽さ」がブログの長所の一つでしょう。考えがまとまっていないから、体裁が整っていないからといって、日常会話における発言を自重しないのと同じようなものです。この使用法の場合、ブログは「コンテンツが定着されることにより、不特定多数の人と交わしうる可能性を獲得した会話」「常に進化していく生きた本」とみなすこともできるでしょう。


◆上の内容にからんだ与太話


ふと、「共同構築型論考SNS」はないのかなと思いました。よく知らないのですが、プログラムの世界では作品をオープンソースにしておいて、誰でも自由に改良できるようになっていることもあるらしいですし、Wikipediaなんかもそんなコンセプトでしょう。同様に、学術の世界でも論考をオープンにしておいて誰でも自由に加筆修正、コメントができる場があれば面白いでしょう。ひょっとするとあるのかもしれませんが。。そうなれば、異分野間の横のつながりが飛躍的に広がり、面白いものがたくさん生まれることが期待されますし、ともすれば閉鎖的になりがちな学術の世界の裾野が広がるのではないかとも思います。

ブログには、このような機能は今のところありませんが、書きかけでもいいからとりあえずアップしておくことにより、少しは上記のコンセプトに似た効果が期待できうると思います。


◆どうされていますか?何かアイデアありませんか?


私の場合、今のところ、ブログに対する期待の一つに上述の役割が挙げられますが、もちろん人それぞれの使い方があってよいわけですし、いろいろな指向のブログが存在するほうが面白いでしょう。みなさんはどのようにブログを利用されていますか?どんな可能性がありそうですかね?

*1:http://d.hatena.ne.jp/okayasukenji/about#p6

*2:この目的の場合、プライベートモードや下書きでもよいと一見思われます。たしかにそれでも一定の効果は得られるでしょう。けれども、私の経験では、他者の目に触れうる可能性があるということ自体が、少しは体裁を整えようとする気持ちの駆動力になり、結果として思考の整理の促進につながることが多いです。昔は中途半場にupしてしまうと表現欲求が減退する気がして躊躇していましたが、やってみた結果、中途半端にupしても、時間の経過と共に、再び同コンテンツに対する表現欲が湧いてくることが多いと感じます。

*3:一方で、訪問者に対する「不親切」にもなりえますし、自身のブログのクオリティーを落としてしまいかねないというデメリットもあるでしょう。どの程度の「中途半端さ」でupするのか、そのさじ加減が難しいところです。

*4:この場合、加筆修正した最新の日付をタイトルに記載しておくと、記事一覧で確認しやすいため、読者に対して親切でしょうし、自身の思考を振り返る際にも有効でしょう。また、上で述べたようにタイトルや冒頭に「under struction」と書いていない記事であっても、もちろん自由に加筆修正すればよいでしょう。