人は人の上に法を作らず――僕はホリエモンじゃないんだという負け惜しみ


 本日、京都は快晴。日中は三十度にも達しようかというぐらいに、暑かったのであります。

 バイク乗りなら、わかっていただけるでしょう。こんな日は、バイクで走ると本当に気持ちいいのであります。

 燦々と降り注ぐおひさまの光を浴びながら、僕は、心躍らせ軽快に駆けていたのであります。

 どうやら、悲劇というものは、こういうときに起こるようであります。そういえば、しゃっくりも、忘れたころにやってくるのでしたね。

 いわば、真夏の砂浜で、いきなりブリザードに見舞われたのであります。

 驚きました。

 僕の目の前で、紺色の衣装を纏ったもののふが、赤地に白抜きで「止まれ」と書かれた逆三角形の旗を右手に持ち、左手の人差し指で、僕を指指しているのです。人差し指を、その名前通りの使用方法で用いている方を拝見したのは、ずいぶん久方振りです。

 思わず、無礼であるぞよ、と叫びそうになりました。

 その無礼者の話はこうです。

 どうやら僕は、「時速40キロ制限の公道で58キロを出していて、赤い旗を振られた場合、9000円を払う」、という契約を、日本というあるのかないのかわからないようなお方と、いつの間にか結んでしまっているようなのであります。

 ものは考えようです。

 例えば、1年から3年に一回、旗を振られるとすれば、月額500円ぐらいで、58キロを出す権利を得ていると考えることもできるようであります。悪くない話です。

 しかし、僕はホリエモンではないのです。つまり、法律の上に人間があると思っているのであります。

 だから、法律の範囲内でなら、何をしてもいいと考えているわけではありませんし、法律をただの契約関係と考えているわけでもないのであります。ルールの中でなら何をしてもいい、こういう考え方をする脳を、ゲーム脳と呼べばいいのでしょうか。もしそのように考えるのであれば、法律は神様になるのです。サッカーなどのスポーツにおいて、ルールが神様なのと同じですね。

 法律の下でしかモノを考えられない男が、法を作る立場である国会議員になろうとした。ここに、ホリエモンのダサさがあるのではないでしょうか。旧体質のマスメディアに、風穴を開けるべく動いたところには、非常に好感が持てただけに、残念でした。一介の経済人で、留まっておけば、少なくとも矛盾が生じることはなかったでしょう。 
 
 話を戻します。

 とにかく、人は人の上に法を作らずとでもいいましょうか。ルールはどんどん動かしていけばよいのです。最適化していけばよいのです。それができることこそが、まさに人間が生きているということなのであります。

 それでは、結論を申しましょうか。

 僕はお金を払いたくない。しかし、払わざるを得ない状況に追い込まれている。だから、せめて、グチの一つでも言わせてくれ。

 読んでくれた皆様、どうもありがとう。